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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

企画の番外編 有名になりたい

今回お話している動画のタイプあるいは動画の目的を、コミュニケーションのための動画、体験を共有する動画と設定しましたが、読者の中にはとにかく動画の再生を増やしたい有名になりたい、だから動画を作るという動機の方もいるかもしれません。

Youtubeで動画の再生回数を増やすテクニック論的な話はどこか別の記事で書くかもしれませんが、ここではまずはそんな動機では誰もあなたの動画を見たい人はいませんと申し上げます。「誰かを有名にさせてあげたいから」とか「誰でもいいから動画の再生回数を増やしてあげたいから」という理由で動画を見る人はいません。動画を見る理由はそこに見る価値があり、見る人の心の何かが満たされるからです。そしてその何かは見る人によってばらばらです。


多くの人に動画を見てもらいたいと思ったとしても、根本にあるべきテーマは、誰に、何を伝えたいか、そして、自分はなにものであるかという一点です。そして明確なたった一人の視聴者像があり、伝えたいことがあり、自分自身の在り処をはっきりと自覚できていれば、あとは見る人の期待に応えつづけ、見る人との心的なつながりをもつことに最大限の努力をするだけです。
マーケティングの世界でもよく語られることですが、より多くという人数ないしは大衆性を追い求めることでターゲットの人物像をぼやけさせては、結局そのメッセージは大衆どころか誰一人の心にも届きません。コミュニケーションは本質的に1対1のものです。そして皮肉的に面白いのが、ターゲットのイメージを明確にし、一貫性のあるメッセージとそのターゲットの心に深く深く突き刺さるバリューを提供しつづけることで、結果的に、初期のターゲットに限らない多くの人の心をつかむことができるという点です。私はそれをおそらくこういう理由だと考えます。まずひとつに、ターゲットを一人の人物像に絞り込むといっても、その人物像にあてはまる人は世界にただ一人しかいないわけではなく、最低でもざっと数千から数万人くらいはいるだろうということ。これだけ人口が多く、均質化された情報やモノが届けられる時代であり、また人間というのはそもそもそんなに千差万別ではありません。誰だっておなかはすくし、夜は暖かくて静かな場所でぐっすり眠りたい。まずは「どれだけ絞り込んだとしても、そのターゲット規模は、一人の人間や一つの会社のビジネスの立ち上げを支えられないほど小さい規模のクラスタになることはない」だろうという点です。次に、次が大事なのですが、その数千から数万人のクラスタに対してコミュニケーションを続けることで、熟練し、コミュニケーションの質が上がる。評判やフィードバックを受けることで自信も付く。(ブランドマーケティングで言えば製品の質も上がり収益も上がる。)そういう改善が繰り返されていくことで、コミュニケーションは次第に人間の本質的価値の琴線に触れるものになっていくのではないかと思います。本質的価値とは、人が大なり小なり持っている、人生で大事にしている価値です。それは人とのつながり・連帯や愛かもしれません。知的好奇心かもしれません。自尊心かもしれません。健康と安心かもしれません。自由かもしれません。快楽や興奮を求める気持ちかもしれません。仏教で言う仏性のようなものかもしれません。…ここまで言うと大げさになりますが、特定の一人の人物像へのコミュニケーションが深化し、特定のクラスタに浸透していった結果、それが隣のクラスタに飛び火し、同時にバリュー自体が幅広い人々に受け入れられる価値にも深化するというのは、誤解を恐れずにいえば、マーケティングにおいては定説と言っても良いくらいよくあることだと私の経験上感じています。


コミュニケーションのための動画についても、その本質はあなたと同じような人にあなたのありのままをさらけ出すことだと思っています。ありのままではない偽の自分や演出された架空の自分、一時的な思いつきの自分を発信しつづけることはできません。なぜならそれは続かないからです。我慢していてさえも心の中から溢れ出てきてしまうものではないからです。そういう意味でも自分が本当にやりたい、誰一人見てくれなくてもやり続ける、むしろやるのは誰かに見てもらうためですらなくて自分の内面を吐き出さなければ死んでしまうからだ、そういうことを軸に置いて表現をすることが結果的に多くの人とのつながりを生むというパラドキシカルな話です。そして、もしも本当に誰ひとりとしてあなたの動画を見てくれる人がいなかったとしても、あなたはあなた自身を見つけたはずでありその結果あなた自身という一人の人間の魂は救われているはずです。