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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

撮影の番外編 カメラワークの応用

動画編集のやりかた

カメラワークは奥が深いと思われがちですが基本的な考え方を身につければさして悩む必要はありません。くどいようですが撮影においては五感を開いて自分の感受性を高めてそれを客観的に感じ取ることが大事だと思っています。

 

たとえば誰かがハンバーグの食レポを撮影するのであれば、料理が出てくる時はまだ冷静ですから食卓の全体像が見えていて、向こうから皿をお盆に乗せた店員がやってくるさまが固定の構図の中に入り込んでくるはずです。料理の皿がテーブルに乗せられるとき、鉄板の上でハンバーグがじゅうじゅう言っている音や肉の香ばしい匂いが五感に入ってきます。するとあなたはおそらくハンバーグに目が釘付けになるはずですから、その感受性のとおりにカメラをハンバーグにクローズアップします。食べる人が何か喋っていますが、それはあまり耳に入らず、むしろハンバーグにナイフが入り肉汁がしたたり出てくるほうが刺激的ですから、カメラもじっとハンバーグを追い続けます。いよいよ食べるということでフォークを刺したら、あ、食べるんだなと気付き、食べた時にどんな表情になるんだろう、どんな感想を言うんだろうということが気になりますから、食べる人の顔と上半身くらいが入るようにカメラを動かします。食べた人がなにかを喋る瞬間には、おそらく顔を見つめているでしょうから、顔のクローズアップにします。一段落したら、もう一回ハンバーグのほうを見て、あなたは自分も食べたいなと思うはずですから、さっきよりは少しロングでカメラをハンバーグのほうに向けます。

たとえば仕事からの帰り道に駅のホームでふと空を見上げたら一番星が輝いていた。そんな情景を描写するとき、星を構図の中心に置いてめいっぱいズームをして、闇夜に浮かぶ白い点を撮影したとしても、あいにくそのときのあなたに見えている情景は伝わらないでしょう。なぜなら、あなたは仕事帰りで疲れていた。繰り返される日常にまぎれ、いつかどこかで何か熱いものを忘れてきてしまったようなしんみりとした気持ちになった。冬の都会の寒い夜風が自分の中の寂寞とした思いに吹き込み、さらに切ない気持ちになった。だからあなたは空を見上げたのです。人は何の理由もないのに空を見上げたりはしません。であれば、そんな自分が感じた出来事を描写する、たとえば駅のホームに固定でカメラを向ける、急行電車が通過するのをただただ撮影し続ける、そしてふと視線を左にはずして街の夜景にカメラを振る、実はここに星が端っこに写り込んでいるけど気づかない、その後うなだれて足元にゆっくり目線を向ける、かと思うとおもむろに空にカメラを向けるとありふれたホームや夜景が下の方に写っている画面のいちばんうえに小さい星があった。みたいな感じでしょうか。

でも実際のところ、具体的な構図の例はどうでもいいのです。ここで大事なのはあなたが夜空の星を撮影して誰かに伝えたいと思ったとき、あなたが本当に伝えたいのは星ではなく、思わず空を仰ぎ見たきっかけを作ったあなたの心の中にある何かなのだということです。そしてそのことに気付くことこそが表現をするということなのだと、私は思っています。

 

 

結局は撮影とは出来事を記録することですから、出来事に対して自分の五感がどう反応したか、自分の感受性のどの部分が共鳴したかを感じ取りそれと連動させてカメラを向けることがカメラワークの基本的な考え方だと私は思っています。自分の五感と感受性を客観的に感じ取ると書きましたが、必ずしも客観視されていなくてもちゃんと目や耳が開かれていれば自然と人はそれに従った行動をとっていることがあります。カメラをどう向けるか、何をフレームに入れるか、どう動かすか、それらが意図せずとも結果としてありありと自分の感じたことやそのときの自分自身を反映させているということがあり、自分でも驚くことがあります。なんで俺、このときこんな画を撮ったんだろうか、という具合です。人間は心が自由で、ありのままであるとき、たとえ意識していなくてもそれは行動に、ささやかな気づかれないほどの小さな行動として常にあらわれ、積み重ねられていくのだと思います。