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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

撮影の番外編 人を撮る(1)

動画編集のやりかた

今回の文章はいつにもまして極論であり、一部の人にしか当てはまらない気もしていますがご容赦下さい。

動画の撮影では人を撮ることが多いと思いますが人はカメラを向けられると大なり小なりそれに反応し、自然なままではいられなくなります。映画とは異なり撮影者は透明人間や神のように意識されずにじっとそこにいるということができません。だからといって隠し撮り的なことをしてもろくなことにならないのでやめたほうが良いです。仮にそれで自然な表情が撮れたとしてもそれは本来人目に晒すつもりがなかったその人の極めてパーソナルな表情でありそれをあなたが勝手にさらしてよい道理はどこにもありません。またその作品を世に出せばかならずその相手はそれを知ります。仮にその作品が誰をも傷つけることがないハッピーな作品に仕上がったとしても、あなたと相手の関係にはなにかしらの濁りのようなものが残りますし同じ手法は二度と通用しなくなります。ここで言いたいのは撮影をする以上そこはどんな場所であってもかならずカメラという存在が介入する空間になるということです。コミュニケーションや表現のために、外に開かれた空間になるということです。その場にいる関係者は大なり小なりそのことを自覚することになります。もし自分たちの個人的な出来事を外に開きたくないと感じた場合は、静かにカメラをしまったあとで思う存分にその時間を楽しむのが良いと思います。おそらくそれは貴い時間になるでしょう。撮影という作業に自覚的に携わることで、カメラを回していない時間を大事にする気持ちが生まれます。今まさに生まれた時間のみずみずしさやそしてその毎瞬間がなんの躊躇もなく永遠に消え去ってしまう儚さなどを一層感じることができます。

 

人を撮影するときに外の世界を意識していない表情を撮ることはできない。それはむしろ侵してはいけない類のものであることを静かに理解すれば、あとはカメラの存在を意識されることを前提として人ができるだけ自然にふるまえる方法を考えれば良いことになります。人は自分を撮る時でも仲間内で撮影するときであっても必ずぎこちなさが生まれますがその理由は人間は他人からどう見られているかを気にする生き物だからです。そしてなぜそこに恐れや警戒心が生まれるかというと、人間の中には自分が理想とする自己イメージがあり、それが他人から評価を受けたり自分で客観視させられると自己イメージが揺らぎ傷つくからです。他人から自分がどう見られているかを気にするのは人によっては業(ごう)のような逃れたくても逃れられないものかもしれません。カメラを向けられる時に身構える反応というのはカメラのレンズそのものへの恐怖ではなく、その向こうにいる冷ややかな目をした得体の知れない他者からの評価への恐怖であり、過去に自己イメージが揺らぎ傷ついた記憶からの警戒心です。

こういった恐怖や警戒心が希薄な人は幸せな人だと私は思います。自分の生き方や親や周囲の人から受けた愛情と自分から溢れ出る愛情を誇って良いと思います。多少の警戒心があり、それをこらえることで顔が多少こわばるくらいならまだましだと思います。いっぽう、自己イメージと異なるみすぼらしい自分が写ってしまうことを避けて現実を撹乱するためにあえて極端に不細工な変顔をする人もいます。自己イメージを投影するための固定的なしぐさや表情に逃げ込み、いつも判で押したように固定化されたポーズ(たとえば威嚇的に顔をしかめ舌を出すような)を取るような人もいます。これらは自己イメージを守るための防衛心が強く発露した結果であり決して責められるべきではありませんが、残念ながらこのような被写体は視聴者から見れば仮面をかぶっているように映り、動画に記録されるのは仮面をかぶっているという事実です。しかしこういう被写体でも長い時間録画しているとボロが出てカメラと視聴者はそのボロを見逃さないので本人はさらに傷つき仮面はますます分厚くなります。変顔をする人をあまり長回ししないということを覚えておくと結果的に相手をいじめないで済みます。

 

自己イメージが傷つくことへの恐怖心や警戒心を無くすことはできませんが、すこしでも緩和するには現実の自分と内的な自己イメージのずれを減らしていくことです。
自撮りをするときにはスマホの画面を自分達に向けて画面を見ながら撮影しますが、このときにたいていの被写体が見ているのは誰ならぬ自分の姿です。隣にいる友達の顔は一切見ません。撮影中ずっと、いま画面に写っている自分が自己イメージどおりであるかを確認し続け、自己イメージに近づくように必死にアングルや表情を微調整し続けます。しかしこれでは一時的に取り繕われたひきつった表情が残るだけで、喋っている内容すら上の空になります。

現実の自分と内的イメージのずれを調整するために良いのは、自分自身を撮影しその後にその動画を何回も見返すことです。ポイントは無意識的なボロを出すために30分くらいの長い時間撮影することです。カメラに向かって自己紹介をやってみたり、誰かとご飯を食べながらおしゃべりしても良いです。ぼーっとテレビを見ていても良いです。そうやって撮った動画を見返すと、特に理想化された自己イメージが強化されている人は自分自身の姿に愕然とするかもしれません。自分がイメージしている自分の姿とかけはなれているからです。目つきが悪い、口が歪んでいる、首が曲がっている、歩き方が変だ、笑い声が苛つく、手元に落ち着きがない、こんなのは自分じゃない、いやだ、気味が悪い。最初はそういう感情が湧き上がると思いますが我慢して何度か同じ動画を見返して下さい。するとまあ悪いところもあるけど良いところもあるなという気持ちになったり、他人のしぐさは余り気にならないのになぜ自分のことはこんなに気になるんだろうという考えが浮かぶかもしれません。まずは自分自身を徹底的に客観的に見つめ、そして最後にはそれを受け入れることです。凝り固まった自己イメージをもみほぐすということかもしれません。こんなのは自分じゃないと目の前の自分を拒絶することは、子供に自分の理想像を押し付け叱ってばかりいる親と同じで子供がかわいそうですから、子供のありのままを愛してぎゅーっと抱きしめてあげるようなことを、自分に対してもしてあげてください。それが最後にはあなたの表情をも美しいものにするはずです。

 

ありていに言えば「自分てこんなものか、でもまあ良いか、これが自分だし」と思えるようになれば自己イメージと自分自身の乖離からくる歪みとカメラへの警戒心は減ると思いますがそれでもまだ自分の些細な仕草や身体的特徴が気になって許せないかもしれません。そういうときはそれを徹底的に直せばいいのです。(身体的特徴を変える方法は私の専門外なので病院や美容院やスポーツクラブに行ってください。)たとえば喋る時に体が左右に揺れるとか、唇が右か左の一方に引きつれるとか姿勢が悪いといったことは動画を通じて一旦胸にショックを受ければ、毎日の行動を意識することで変化していくはずです。まずはどうしても直したい点だけを気にしてもう一本同じ動画を撮ってみても良いでしょう。こうやって動画を通じて自分を客観視することでしぐさや姿勢を直していくやりかたは大勢の人の前で話す仕事や身体表現をする仕事をしている人にとっては常識かもしれません。私も仕事柄モデルやタレントという職業の人と会いますがこういう人たちが美しくなっていくのは元の造りが良いといったことは出発点にすぎず、人目に触れることとその結果生まれた作品を通じて自分の所作を冷静に客観視し自分にフィードバックする行為を丹念に繰り返した結果の賜物ではないかなと感じています。