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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

撮影の番外編 人を撮る(2)

動画編集のやりかた

前回は自分や関係者を撮る時はカメラを意識させることを前提にするということと、自己イメージを気にする人は自分を撮影し客観視してみることが効果的だという話をしました。今回は、街でたまたま見かけた人を撮影する時にどうしたらよいかを話します。

まず風景の中に人が入り込んだような場合については大して気を使う必要はありません。厳密に言えば、議論の余地はありますが人間の顔には肖像権というものがあるので、映像作品に顔が写っている人はその肖像権を主張することができるということになっていますが、権利はそれを主張しないと損する場合と主張すると得する場合に行使されるものです。損する場合とは例えば泥棒をした帰り道を撮られたといったやましいことがある場合ですがそれは本人の自業自得ですからこちらがいくら気にしてもしょうがありません。得する場合とはたとえばYoutubeにアップした動画が100万回再生して広告収益が入ったときにその分け前を自分にも寄越せと言い寄ってくるような場合ですが、ただのガヤ/モブ的に登場している人に分配されるべき分け前はゼロに等しいですからこちらも気にすることはありません。さらに、収益化を前提に動画をアップし実際に収益化するような人はそれまでに数多くの場数を踏んでいるでしょうし、結果的に表現に関する法的知識も身についているはずだと思います。

ただ撮影中に気を付けるべきは、やめろと言われたらやめることと、李下に冠を正さずという2点です。例えば泥棒をたまたま撮影しても本人の自業自得と書きましたが、ジャーナリズム魂に溢れた報道カメラマンを目指すのでもないかぎり逆上した泥棒に殴られるのは避けたいので撮影はいったんやめます。他にも以前書いたように人間にはカメラに対して無条件に恐怖や警戒心が生まれるためカメラを極度に嫌う人もいます。そういう人たちの気持ちを傷つけて逆なでするのも本意ではないので、こういう場合も撮影はいったんやめます。李下に冠を正さずというのは、梨畑で頭の上に手を持っていくと梨泥棒をしていると誤解されるから帽子を触るのはやめましょうという意味で、誤解されるようなことはしないという意味です。たとえば階段やエスカレーターでカメラを起動したら盗撮だと思われます。シャッター音を鳴らすとたいてい誰かが振り返ります。盗撮ではないから大丈夫だと心の中で言い訳しても、盗撮されているかもしれないという不安を周りの誰かに与えたという事実の前では自分の中の正当性は無意味になります。公の場で撮影をするときには自分たちが何を撮影しているのかを周囲に分からしめるというのもマナーであり、結果的にコソコソしないほうが撮影がスムースに行くというのは大抵のケースで当てはまります。

 

次は特定の人物を被写体にして撮影したいケースです。駅前でチェロを弾いている人かもしれないし、路上で美味しそうにビールを飲んでいるアメリカ人かもしれないし、最終電車で眠りこけているサラリーマンかもしれません。特定の誰かを被写体にする場合のポイントはまず相手に声をかけて撮影したい旨を伝えることです。そしてそのときに最も大事なのは「なぜ自分はこの人を撮影したいのか」を自問して、その答えをふまえて声をかけることです。それが相手に対する好意や純粋な興味であれば自然とその思いを相手に伝えることができるでしょう。例えばビールを飲んでいるアメリカ人がとても楽しそうに見えていい思い出になったとか、楽しくビールが飲める日本って素敵だと思って友達に伝えたいと思ったといった動機です。駅前でチェロを弾いている人の曲が心に染み入ったからという動機であればそれだけのことですが、ネットに載せたらアクセスが増えそうだからという動機であればどうでしょう。それを伝えた時相手は自分の名前のクレジットの掲載を求めるかもしれませんし撮影を拒否するかもしれませんが素直にそれに従うのが一番だと思います。その演奏家が音楽を奏でることでお金を稼いでいるとしたら、あなたがアクセス獲得目的で許可なくその人の動画をアップするのはその演奏家から何かを盗んでいることになりますから、そのことに自覚的になるためにも相手を撮影したいと思った真意を自分に問いかけることが大切です。もし相手の不格好さや失態を笑いものにしたいという気持ちから誰かにカメラを向けようとしているのであればそれを相手に面と向かって言えるかどうかと自問してください。ある人は考えなしにそれを相手に伝えて怒りの眼差しを向けられたあとで自分の行いの意味を知るでしょう。ある人はカメラを向ける前にやるべきことがあることに気づきその人に手を差し伸べるか儀礼的無関心という慈悲を与えるでしょう。だらしなく眠っているサラリーマンを黙って撮影して楽しんでいる人も、カメラを向けた理由が相手をあざ笑いたいだけだったということを自覚すれば自分がカメラという暴力の味に酔っぱらい、被写体をその暴力で殴っただけだったということに気づくかもしれません。あるいは多少の嘲笑は含まれていたとしても、電車で熟睡できる安全な国ニッポンを称賛する気持ちが動機だったとすれば、たとえ相手からクレームが来たとしても自分の思いを真摯に相手に伝えて納得してもらえるかもしれません。人物にかぎらず被写体を撮影するときに自分の心の中の動機に目を向けることは大事ですが、人が被写体の場合はその動機を言葉にすることによって、それがポジティブなものであれば相手と心のつながりが生まれ、結果的に気持ち良い笑顔を引き出すこともできると思います。