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動画の編集 作り手の眼

料理と動画編集の共通点や類似性を書きましたが、残念ながら料理上手な人がすべからく編集も上手になるということではありませんし逆も然りです。ただ、作り手の側に立った瞬間から作品を味わう目(ないしは舌)がそうでない人とは根本的に別ものに変化するという点においては料理人も映像表現者も同じだと思っています。料理で言えば、料理を作らないで食べるだけの人の感想は平たく言えば「おいしい」か「おいしくない」で終わりです。もちろんこれにケチを付ける気はまったくありません。食べる人は単純においしいかおいしくないかだけで良いと思います。しかし料理を真剣に作る人間の大多数はまったく違った態度で料理を食べているでしょう。大根の煮物であれば、ちゃんとアクが取れている、これはちゃんと下茹でをしたんだな。しっかり分厚く桂剥きをして面取りもしているから形も舌触りも良いのだな。出汁は昆布と鰹をあわせているけど昆布のほうが主張が強いな。この天盛りの具材のアイデアは自分になかったけど冬らしくて良いな。といった多くのことを分析して自分の料理に活かそうとしながら食べます。美味しいものほどそういう目線で食べます。料理の経験を積めば積むほど一皿の料理から学び取れることが膨大なものになっていきます。動画制作においても同様です。映像表現者の場合は、テレビ、ネット、映画といったあらゆる映像作品を目にする毎瞬間に、楽しむ目とは別に学び取る目を見開いています。絵の構図、カット割り、編集のリズム感や意外性、色味、音楽などなど、めまぐるしく動く映像のすべてが教科書になります。この学び取る目が開かれた瞬間から、映像表現者になった瞬間から、あなたはもう昔の自分には戻れなくなるのです。「おもしろかった」「つまらなかった」だけでは済まされなくなるのです。(以前、このことについて僕の尊敬する親友が「表現者は行住坐臥24時間表現と向き合うことから逃れられない。それは『呪い』である」と若干の皮肉をこめて称したことがあって僕はそのことをよく憶えています。もちろん私にも、その素敵な呪いがかかっています。)しかしそれは本当にすばらしいことであると私は思います。なぜなら、その目線はあなたの動画編集に間違いなく良いフィードバックをもたらすと同時に、他人の作った作品をよりいっそう豊かに味わうための知的な土台にもなるからです。もちろんたまには学び取る目をぴったりと閉じて、楽しむ目だけを開いて思う存分ディズニー映画を満喫することもしてください。もちろんディズニー以外でもいいです。私もよくそうします。(ただ職業柄、15秒のTVCMを見るときだけは、たいてい無意識的にそっち側の目が開いてしまっています。)

なお評論家や批評家もそういう目線を持っているよという意見もあると思いますし私もその意見に賛成です。ただ料理人や表現者はそれを更にものづくりに直結させられるという点において恵まれていると思っています。これだけ無尽蔵にお手本があり、且つ動画は完成品そのものがほぼレシピなので殆どのことは作品自体から直接的に学び取れますから、あなたがその目を閉じさえしなければ今の時代は本当に恵まれていると思います。

 

追記
なお私がCMを見る時はだいたいこういう風にしています。まずは無心で作品を見て、そのときに自分が感じた印象や感情の動きを客観的に感じ取ります。その印象が強かったものをYoutubeなどで何度も見返しながら2番めに考えることは作者の意図です。このCMは何を印象付けようとしているのだろうか、何を伝えたいのだろうか、視聴者に何をして欲しいのだろうかと考えます。それがおぼろげに或いは明確に分かってくると、次に全てのカットを1つづつ見ていき、作品意図を果たすためにどういう表現上の工夫がなされているのかを読み取ります。このカットの次にこのカットが来るのはこういう印象を与えたいためだろうか、ここで話を終わらせるのはこういう想像をさせたいためか、といった想像をしつつ、ここはクライアントにゴリ押しされて監督も辛かっただろうなあといった想像もふくらみます。そうやって一通り作品を咀嚼するとCMディレクターさんと少しだけ近づいたような気分にもなります。