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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

動画の編集2 調理(応用編)

先日は動画の編集の基本として、時系列に並べたうえで退屈な箇所を短くしつつそのうえで伝えたいことを残すための調整を重ねることをお伝えしました。もちろん動画の編集方法はこれだけではなく、幾多の演出上・表現上のノウハウがあります。ただその1つ1つを言語化していくには相当の手間がかかりますし、その手法を知ること、理解すること、会得することのそれぞれの間にも大きなひらきがあります。乱暴に言ってしまえば動画編集の良し悪しはセンスに尽きますから、センスが磨かれていないと個々の方法論をただ知っただけでは意味がありません。

 

しかし、センスは天から備わるものではなく、時間をかけて鍛錬し磨き養うものに他なりません。センスを磨くためには、まず何より模倣をすることです。センスって個性じゃないのと考える人もいるかもしれませんが、よくわからない個性至上論はとりあえず置いておいて、まずは模倣から全てが始まるということを頭に叩き込んで下さい。芸事、芸術、表現、スポーツ、あらゆる世界で模倣の重要性は語られているのでここでは多くは語りませんが、まずは徹底的にディテールを含めて模倣をするのが良いと思います。徹底的にディテールも含めて模倣をするというのは、たとえば、小説で言えば好きな小説家の小説を、一字一句そのまま書き写すことからスタートします。ただ文字を書き写すことに意味なんてあるのと感じるかもしれませんが、やれば分かります。私がどこかのサイトで読んだ記事では、テレビショッピングのジャパネットたかたでは、新しく入社したMCは、まず高田明前社長の喋るセリフ、喋り方、しぐさや間(ま)をすべて完全にコピーし再現する鍛錬から始めたそうです。何度も何度も完全コピーを試みることで、間(ま)の重要性や言葉遣いの重要性を頭と体で理解し、なぜ高田さんがああいうふうに喋るのかを、実感を伴って理解するんだそうです。そのうえではじめて、一人一人のMCの個性というものがその後から浮かび上がってくるものなのだそうです。完全模倣ないしは単純模倣は、ただ見てわかった気になるのとは大きな違いがあることは、一回やってみれば実感として理解出来ると思います。

動画に関しても、自分の好きなYoutuberの動画でもいいですし、自分の好きなミュージシャンのミュージックビデオでもいいです。少しハードルは高いかもしれませんが好きな映画のワンシーンでもいいです。まずはその動画をダウンロードして、自分の編集ソフトのフッテージに置いてみて下さい。その全てのカットをぶつ切りにして分析してみるだけでも随分参考になると思いますが、できれば同じカットを全て撮影して(リアルに再現しなくてもいいです。家の中で撮影してもいいです。それっぽければ良いです。)、できるだけ元の動画に近づくように編集してみるのが、動画における単純模倣の一つのやり方です。そのプロセスで、どういうタイミングで前後のカットをつなぐと気持ち良いかといったことも体感として分かります。なぜそれぞれのカットがそれぞれの構図なのかということも理解できるでしょう。短くつなぐカット群と、長回しするカットの違いも分かるでしょう。実現方法が分からないトランジションやエフェクトがあれば、インターネットで探して身につけることもできるでしょう。このようにまずは自分の好きな作品を模倣し実際に手と体を動かしてみてその体性感覚を実感として持つことがセンスを磨くための最短ルートであると思います。多くの作品を目にすることも大事ですが、見ただけで自分のセンスが向上したと錯覚することは危険です。センスは個性であり個性は誰にでも備わっているのだから自分には自分なりのセンスがあると盲信することは、さらに最も危険な誤解であり、悲劇しか生みません。

 

なお模倣の果てには個性が生まれないのではないかと思う人もいるかもしれませんが、そんな心配は一切無用です。私は、個性というものは、その人の致命的な欠点のみから生まれると思っています。言い換えれば、真似しよう完璧に真似しようと思ってもどうしても完全には模倣しきれないクセのようなものが人間には出てきます。当然です、人間は完全ではありませんから、模倣しきれない部分が出てきます。どうしてもここが雑になる、逆にどうしてもここにこだわってしまう、どうしてもテンポが遅めになる、どうしても色温度が高めになっちゃう、といった具合です。消そう隠そうとしてもどうしても出てきてしまうたった1%の欠点ないしはクセが個性であり、残りの99%は先人によって磨き上げられ積み上げられた方法論のピラミッドであれば良いのです。もしも作品の100%が個性の塊だったとしたらその作品は他の誰にとっても全く理解できない何の価値も魅力もないジャンクとして映るであろうことは想像に難くありません。

 

動画の編集はセンスだと言いましたがそのセンスの1つにリズム感のセンスがあります。動画にはリズム感があります。反復しながら徐々に盛り上がるEDMのようなリズムもあるし、スイングするジャズのようなリズムもあります。翻弄されながらも陶酔感が生まれるポリリズムのようなリズムもあります。動画においてのリズム感は明確に意識していないと育ちにくいと感じているので、リズム感について少し語ります。

動画にリズム感があるかないかは、視聴者にとっては動画を気持ちよく感じるかどうかとして伝わるように思います。面白い動画であっても、ただ面白いのか、「なんか見ていて気持ち良い」かどうかという違いが、リズム感のあるなしの違いです。動画のリズム感を意識するには、動画の「気持ちよさ」を意識して感じ取ることです。気持ち良いとはどういうことかを探るために、気持ち悪いとはどういう感じかを説明すると、たとえば私たちが人と会話をするときに、うなづいたり相槌を打ったりします。たとえばこの相槌を打つ間(ま)が0.1秒ずれるだけでも、人は違和感を感じはじめます。この人との会話はなにか噛み合わないな、気持ちよくないな、と感じるはずです。テレビで衛星中継をしている先のニュースキャスターとスタジオとの会話に気持ち悪さを感じるのはそういう理由です。あるいは、エスカレーターに乗るとき、人はエスカレーターが動いていることを前提に足を踏み込むので、自然にスーッと乗れますが、止まっているときのエスカレーターに乗ると、なんともいえない気持ち悪さが生まれます。これも自分の期待していた歩きのリズムが狂うことが原因です。ギターやピアノなどの楽器を演奏する場合でも音符通りに演奏できていてもなんだか気持ちよくないとき、大抵はリズムつまり一つ一つの音符の長さの加減が聞く人の期待とずれるのが原因です。動画においても、なんでか分からないけれど気持ち良くない、気持ちいいという印象が生まれてしまうのは、動画のリズム感にその大半の原因があると感じています。動画は1秒あたり30コマの画像で構成されているので、動画のリズムを作る最小単位は1コマつまり0.033秒です。このたった0.033秒を長くするあるいは短くするだけで顕著にリズム感が変わります。たとえば人物が登場してから話し始めるまでの間(ま)の1コマ2コマはリズムに顕著に影響します。一つの出来事が終わってからトランジション効果がはじまるまでの間(ま)の0コンマ数秒もリズムに大きな影響を与えます。トランジション効果自体の長さも1コマ短くするだけでその印象は変わります。こういったリズム感の調整にあたっては、いちばん自分が気持ちよく感じられる瞬間にたどり着くまであきらめず、雑にならず、1コマの影響力の大きさを肌で感じ取ることが大事です。万人にとっての正解はありませんが、自分の味という到達点にたどり着くことはできるのです。その結果として動画を見た相手に「なんか気持ちいいね」と言ってもらえたとしたらそれは編集冥利に尽きる瞬間だと思っています。