読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

Summer 2011

ふとんクリーナーとの3年間

2011年の8月は東北の地震原発による混乱が少しだけ日常に戻りかけはじめた時期でした。

 

その年の頭、僕は動画制作の会社を経営して6年が経っていました。僕の会社がメーカー向けの店頭販促動画の制作にフォーカスしたことを後追いするように2008年頃から店頭販促に動画を活用する市場トレンドが立ち上がりそのトレンドとともに業績も順調に推移し、このタイミングこそが会社を次のステージに成長させるタイミングだと感じメンバーを増やし果敢にテイクオフを狙っていました。

そんな2011年の初春のある日の午後、江戸川橋にある旅行会社で商談をしていたらゆらゆらっと地震が訪れ、商談を終えて駅へ向かうと電車が止まっていることを知り、会社に電話をしても通じず、仕方がないので江戸川橋から神田まで当時の一人の社員とともに歩き、1時間ほどをかけて花粉症のくしゃみに悩まされながら神田にたどり着いた時には社員は皆神田司町の公園に不安そうに佇んでいました。こうしてようやく事の重大さに気づき直ぐに社員全員を帰宅させ、自分は神田から当時住んでいた築地に徒歩で帰りつつ呑気に八丁堀辺りのコンビニに立ち寄り水のペットボトルが1本もないなあすごいなあなどとつぶやきつつビールを買って帰り、テレビをぼんやりと眺めながら寝て3月11日が過ぎていきました。

翌日になるとテレビのニュースでは原子力発電所の爆発についての話題でもちきりになっていました。そこからの数日間は毎日会社に出社し社員も出社させましたがその理由はなんとか平常を装うことにやっきになっていたのと同時に、2011年3月10日以前の夢や計画をなんとか取り戻したいという儚くて無謀な願いのあらわれだったのかもしれません。当時の社員のみんなには本当に悪いことをしました。地震原発の問題を受け短期的には完全に仕事がなくなりました。広告自粛と節電という2つの理由で店頭での販促動画というツールは息の根を止められましたが、それどころか製品の出荷自体がままならない状態でしたから宣伝や販促といった生業の者のぼやきなどに目をくれる前に向き合うべき対処すべき現実が山のようにあった日々だったのだと思います。しかし自分としては5年6年ものあいだ泥水を啜るような日々を耐え過ごしようやく巡りかけた事業拡大のチャンスが原発事故という大きな不運と人災の組み合わせによってあっという間にぷちゅんと消し潰されてしまったことに直面し一人で顔を歪めて涙を垂れ流しました。

震災と原発メルトダウンから3ヶ月ほどが過ぎて徐々に節電ムードにも飽きがきたのか仕事が少しずつ来るようになりました。同時にこの時期にそれまでの無茶な経営がたたり何名かの社員が辞めていきました。僕の気持ちのなかには世の中がなにか根本的に変わってしまった以上これまで通りのことをしていてはいけないという漠然としたしかし強い気持ちが生まれていました。世の中のなにか根本的な間違いに気付かされてしまった以上これまで通りのことをすることはできないという漠然としたしかし強い気持ちに急き立てられていました。日本という国の政府やメディアそして日本人の根底にあるずるさや無責任さや冷たさにことさらに目を向けつつそれをどうしたら良いのかを持て余し、会社経営と成長という目標の幹がぽっきりと折られてしまった失意のなか、この木はどこからどう再び芽を生やしていけばいいのかと途方にくれていました。自分の会社のことももさることながら、日本という国にうっすらプライドを感じていたけど実はめちゃめちゃやばいじゃん、中国や韓国のこと馬鹿にしてるばあいじゃないじゃん相当やばいじゃんという失望と焦燥に呑まれていました。

そんな2011年の8月の暑い夏の日に、当時付き合いのあった知り合いの商社マンからこんな商品があるんだけど何か関わってみないかと見せられたのが、Rという奇妙な名前の掃除機でした。

 

 

紫外線ランプを搭載し部屋中の絨毯もカーテンも靴もぬいぐるみも除菌できるハンディ掃除機。当時はYという会社(商社兼メーカーという立場でしょうか)によって細々と販売されていたRの宣伝文句を最初に目にした時は、まったく意味がわからず、マーケティングをしてヒットに導く糸口が全く見えませんでした。そのまま「意味不明ですよこの製品は。私にはどう売ったら良いか分かりません」と言ってオファーを断ることもできましたが、なんとなく心に引っかかるものがあり(といってもこの感覚も後から振り返って思った程度のものですが)メーカーの社長と会う機会が得られたのでとりあえず彼と会ってみることにしました。彼はLという名前でした。

Lさんと会って話をするなかで、Rという製品の本当の価値は部屋中を除菌するという点ではなくどうやら別の点にありそうだということがうっすらと分かってきました。彼は医者でありアレルギー対策と健康を着想のベースにRという製品を作ったこと。布団に掃除機をかけることでダニ(ハウスダスト)アレルギーの原因を抑えることができるというアプローチを考えたこと。韓国で一定の売上を獲得したもののそれ以外の国では大きなヒットには結びついていなかったこと。そう、Rが韓国の製品だったことも知りました。Lさんと会話を続け検討を深めていくことで、Rという製品が単なるイロモノ除菌掃除機ではない、小さいながらも新しいカテゴリを創造しうる価値を持っているのではないかと感じ始めました。同時に、これは自分にとっての、いまの自分にとってのチャレンジなのではないかと考えるようになりました。

チャレンジとは、震災と原発の出来事から生まれた僕の問題意識に何かしらの答えが見つかるかもしれないチャンスということです。家電大国と言われてきた日本で、外国とくに韓国製の製品が日本でもしヒットを飛ばすことができたら。日本人も今の世の中は日本の国内のことだけを考えていれば良いわけではないことに気付くのではないか。日本という国に対して根拠のない自信を持ち続けてきたこともそれは単なる無知による傲慢だったことに気付くのではないか。ましてやそれを気付かされる相手が、大なり小なり軽視して見下してきたことが多い(そういう人がおそらく多い)韓国という国の小さな小さなメーカーだったとしたら。そんなふうに、日本に何か蹴りを入れられるかな、僕を強烈なフックでぶん殴った日本に少しの仕返しと叱咤激励のビンタでも与えられれるかな、という気持ちがむくむくと湧き上がりました。このような思いから僕はRという製品のブランドマーケティングに携わることを決意し、ブランディング戦略とマーケティング戦略に着手することにしました。それは2011年の夏が終わる頃でした。

続く