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人生のストーリー

Rというブランドは2012年の秋に、様々な偶然が重なり、テレビ通販専門局であるT社での取扱により月間販売数量が数万台へと持ち上げられることになりました。さらにテレビ通販による実売と認知、そして幾多の追い風による相乗効果がブームを生み、2013年の大ヒットへとつながっていくことになります。

 

ヒットの理由を偶然や幸運で語るのは簡単ですし、僕もヒットの理由の9割以上は最後は運や偶然に味方された結果だと思っています。そういう意味では成功法則を語った本の9割以上は嘘だとも思います、そういう本もたくさん読みましたけれども。しかしヒットや成功を生む土壌には幾つかの前提条件ないしは必要条件があると思っています。Rにおいて2012年末からのヒットの土壌となっていたのは、ひとつには「人生のストーリーが交わった」ことがあると思っています。人生のストーリーが交わったとはどういうことか?それを少し長くなりますが説明します。

 

想像してみてください。あなたが明日、死ぬとして、あなたの人生が2時間の一遍の映画になるとしたら、どんな物語が綴られますか。どんな人物が登場してどんな出来事が描かれるでしょうか。生まれてから今日に至るまでの数十年のすべての時間を描ききることは到底叶いません。幼少のころはすっ飛ばして中学一年生の教室から始まるストーリーかもしれませんし、二十代の半ばに恋人がアパートから出ていったところから始まるのかもしれません。最愛の人を亡くした瞬間にクレジットロールすらなくエンディングを迎えるのかもしれません。人生の時間は、それが長いものであっても短いものであっても、そのうちの何割かあるいは一瞬かは、あふれる情熱を持ち目の前のことに打ち込み挫折や苦しみや喜びや充実を感じてきたはずです。あるいは残りの何割かあるいは大抵の時間は、ただ退屈に過ごしたり思い出したくもない時間であったり、思い出すこともできない時間であるかもしれません。人はだれでも自分の人生の主人公であり、たとえそれが辛く凍える孤独に満ちたものであったとしても、身の回りの誰もがあなたの人生に気をもとめなかったのだとしても、あなたの人生においてあなたが主役であることは、この世のあなた以外の誰もが決して奪うことのできない事実なのだと思います。このように人は誰もが自分の人生をほんとうは大事にし、かけがえのないものにしようとし、そのために不安や期待や恐怖や信念や愛や憎しみや退屈や我慢やいろいろな感情を抱え込みながら生きているのだと思います。そのようにして長い長い(ときには短い)人生を辿り歩いていくのが人間ですが、それを俯瞰して少し遠くから客観的に眺めれば、その人生は一つのテーマに収斂され、ちょうど2時間くらいの一遍の映像作品のようなひとつのストーリーに収まるのではないかと思います。

人生のストーリーが交わることを実現するための問いのひとつは、あなたの人生を描いた2時間の映画作品の中に、そのビジネスが登場してきますか?という質問です。あなたの人生に今やっている仕事のシーンは登場するでしょうか。もしかしたら仕事帰りにコンビニでおでんを買って家でスマホをいじるシーンだけが描写されるだけかもしれません。飲み会や合コンのシーンだけが数秒間描かれるかもしれません。(暴論ですが、今やっている仕事を振り返って、自分という人生を描く2時間の映画のなかにそれが一切登場しないだろうと感じたのであれば、今やっている仕事はすぐに今日辞めるべきだと僕は思います。)どれだけ頑張って毎日深夜まで働き精魂を注いでいた日々が過去にあったとしても、あるときからそれが自分の人生のテーマとかけ離れていたことに気づいてしまっていたとしたら、その数年間は一切自分の人生の物語には登場しないかもしれません。自分の人生のストーリーにその仕事に打ち込んだ日々が登場するということは、そのビジネスを自分の人生の出来事と捉えて情熱を注ぎ、自分の人生のテーマとそのビジネスを一定の範囲で同一視できてシンクロさせていたということの結果です。まずはそのビジネスが成功したかどうかとは無関係に、そのビジネスのために費やしていた時間が単に金を稼ぐためのものではなく、自分の人生のきわめて限られたかけがえのない時間を費やすに値するものであったかどうか。もしその答えがイエスであるならそのビジネスに費やした時間はいきいきと、自分の一生を振り返る中で決して外せない出来事として浮かび上がり、一貫性のある人生を紡ぐストーリーとして描かれるはずです。

人生のストーリーが交わることのためのもう一つの問いは、もしあなたの人生の映画のなかにそのビジネスが登場するとして、その場面に、どれだけのメンバーが登場していますか?という質問です。人の人生はその人だけのものです。あなたの人生があなただけのものであるように、隣りにいる誰かの人生もその人だけのものです。それをコントロールしようとしたり自分の人生の脇役に貶めてしまうことは、誰にもできません。そのビジネスの成功のために骨身を削って心血を注いでいるのがあなただけだったとしたら、映画の中ではあなた一人がただ闇雲に走り回り、暗いオフィスのなかでぼんやりと一つだけ照らされたデスクで黙々とパソコンに向かう姿だけが描かれることでしょう。その映画のなかで今あなたが関わっている全てのメンバーがいきいきとした表情で登場しているとしたら、それは、そのメンバー一人一人の人生の映画においても、そのビジネスが描かれているということです。あなたではない隣の誰かの、その人にとってはかけがえのない自分が主役である人生の物語においても、そのビジネスに取り組んでいる時間がその人の人生のテーマを紡ぐ出来事として描かれているということです。もちろんその描かれ方は違ったものであるでしょう。しかしその人の映画の中にも、きっとあなたは登場します。このようにビジネスに関わる一人一人の人生をつむぐ極めてパーソナルな映画のそれぞれの中に、そのビジネスが登場していたとき、そのそれぞれの映画の中に、自分を含むメンバーが必ず登場しているはずです。そのとき、一人一人のメンバーの人生の映画とは別に、そのビジネスの成功を描く一遍の映画が描かれるのです。それが、人生のストーリーが交わった結果に生まれる奇跡です。

 

Rをとりまく人たちにもそれぞれのストーリーがありました。韓国からやってきたLさんにとって日本で成功するということは悲願でした。そして自分を育て鍛え叱咤してきた大いなる存在である父を超えることも悲願でした。家電大国日本において自分がスタートさせた家電事業で成功をおさめるということは彼にとって何者にも代えがたい人生をかけた自己実現でした。Rの取扱ディストリビューターとなった商社にとってもRの成功は金銭的成功以上の悲願でした。その商社において中心的メンバーであったKさんにとっても、自分が主役となってRを成功させることはそれまでの仕事人生の逆転をかけた一世一代の大勝負でした。前述したように、テレビ通販のT社にとっても事業のアップデートと経営のV字回復を狙うための背水の陣のチャンスでした。僕にとっても、この一連の記事の冒頭で書いたように、自分の会社の行き詰まりと日本への愛憎を乗り越えて次の一歩を踏み出すためにどうしても必要な試練でした。だれもがもちろん金銭的な成功という理由を共有していましたが、金銭的な成功のみで結束し同じ目的に向かう集団は大抵うまくいかないか、あるいはろくな連中ではありません(僕はそういうのに寄り付きたくもありません)。逆説的ですが、大きな目的を達成するための集団の一人一人の目的は、一つではないのです。一人一人それぞれに、そのビジネスに関わる目的があり、成功を求める理由があるのです。それは一人一人の人生のストーリーです。Rの成功はRというブランドに関わった一人一人にとっては目的ではなく、それぞれの人生のストーリーを全うするための手段でした。しかしだからこそRの成功という目標が他人事ではなく、金銭的理由以上に、すべての一人一人の社内外を含むメンバーを動かしパッションを増幅させ大きなうねりを生む要因たり得たのだと思います。

 

成功したプロジェクトでは、関わった全ての人間がそれぞれ「成功したのは私のおかげだ」と言うそうです。逆に失敗したプロジェクトでは、関わった全ての人間が同じく「失敗したのは私のせいではない」と言うそうです。この二つの言葉の重みを僕もあらためて腹の底から感じます。(失敗したプロジェクトにおいて仮に本人が真剣に関わっていたとしても、参画しているメンバーの誰か或いは他の全員が他人事として関わっていたとしたら、その人の顔が頭に浮かんでしまいます。もちろん、自分自身が他人事として関わっていたとしたら、自分はプロジェクトの成否に関与する存在ではないと思っていますから、同じく私のせいではないと発言してしまうわけです。)プロジェクトの成功要因は運が9割であると僕は改めて言いますが、成功のための土壌の一つは、関わるメンバー全てが最終的には「成功したのは私のお陰だ、そして私を支えてくれたメンバーのおかげだ」と言えることに尽きると思っています。それは大いなるコミットメントの裏打ちです。そのためには人選、とくにスキルや金銭的理由ではない、その一人一人の人生にとってどうしても取り組まなくてはいけない理由があるかどうかをシビアに判断し辛抱強く人選をはかることが大事です。もちろんそういう人に巡り会えるかどうかも9割以上が運だったりするわけですが。

 

このようにRは限りない運に恵まれた結果T社でのテレビ通販放映にこぎつけ、Rを支援してくれたママ&ベビーの応援を受けつつ次なるシニア層という人たちに広く受け入れられながら2013年の春を迎えることになります。それはRにとってもまさに満開の桜に祝福された、春の日のおとずれでした。

続く