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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

おもてなし について

ノンジャンル

いま日本を訪れる観光客が年々増加していると言われています。2020年の東京オリンピック開催をはずみとして、かねてから政府が打ち出しているビジットジャパン関連事業が奏功しているのでしょう。同時に東京オリンピック誘致の際に話題になった「おもてなし」という言葉もインバウンド需要と相まってよく目にするようになりました。

最近、某ホテル会社へマーケティングコンサルティングをしている関係でインバウンド観光客について深い調査をする機会がありました。また僕は元々旅行や出張が好きで、外国に出張に行く機会も多かったため色々な国のホテルで色々なサービスを受けてきました。そこで観光客を受け入れるとはどういうことか、おもてなし或いはホスピタリティとはどういうものかについて考えさせられることも多くありました。そういった経験を踏まえてここでは僕の考える日本人のおもてなしについて書きます。

 

日本人の多くは、日本人はおもてなしに長けていると考えているんじゃないかと感じています。どこにその根拠があるのか分かりませんが、お・も・て・な・しと自信満々に語ったプレゼンの影響力かもしれませんし、そもそもその根底にある自国に対する根拠のないプライドに拠るものなのかもしれません。どんな理由や根拠にせよ、日本人の多くは、日本には独特の手厚いおもてなし精神があり、それをいかんなく発揮すればすべての外国人はそれに満足し日本を好きになってくれる、と信じているのではないか。そしてそのおもてなしは具体的には、畳の部屋で正座をしてお辞儀をしたり、温かいお茶を振る舞ったり、お茶の横に鶴の折り紙が添えられてあったり、さらにその横に折ってない折り紙と鶴の折り方のマニュアルが置いてあることだったりすることなんじゃないか。と想像しています。これが杞憂であればいいと僕は思っていて、おもてなしとはこういった日本らしさの押し付けとは真逆なところからスタートすると思っているからです。

 

僕が思うおもてなしの基本は、まず、相手にあわせたサービスをすることであり、その前提として相手が誰であるかを知ることだと思っています。具体的にどういうことかを端的にいうと、たとえば東アジア系の顔立ちの人と会うとしたら、彼または彼女が中国系なのか韓国系なのかを瞬時に見分けることです。中国系でも、大陸なのか、台湾なのか、香港なのか、あるいはシンガポールなのか、中国系アメリカ人なのか、それをすぐに見分けることです。中国系と一口に言っても、その内訳はさまざまです。とくに台湾人や香港人の考え方、生活様式は中国人のそれと大きく異なり、中国人と台湾人を一緒くたにすることは失礼を通り越して侮辱的な鈍感さです。たとえばヨーロッパに旅行したときに日本人が中国人と混同され「你好你好」と声をかけられたら良い気分はしないでしょうがそれ以上の雑さです。中国人のなかでも、北方の人、南方の人、沿岸の人、内陸の人、こんな区分けでさえ雑だと叱責されるくらい多様な考え方や生活様式が混在していると僕は中国人の友人から教わりました。ヨーロッパで言えば国籍はともあれドイツ系なのか、イタリア系なのか、フランス系なのか、ロシア系なのか、だいたいの見当がつく位のことは外国人相手でいえば必須のスキルだと思います。東南アジアも勿論で、フィリピン人とインドネシア人を見分けるくらいは一瞬で出来るようでないとおもてなしの「お」の字も語るべきではないと思っています。もちろん見分けるだけでは終わりではなく、そこが始まりで、たとえばインドネシアイスラムの人が多いからこういう行動様式を持っているだろう、フィリピン人にはこういうものが流行っているからこういうものが好きだろう、ベトナムはいま経済がこういう状態だから、この人はこういう経済階層の人なのかもしれない、というように各国の宗教・文化的背景や経済状態、トレンドなどを把握理解しておくことから一人一人の相手にあわせた対応がスタートします。さきほどあげた中国・台湾・香港の例でも、それぞれのテリトリーがどういう経緯で区分され、いま相互の関係がどういう状態にあるかを把握すれば、ゆめゆめ彼らを一つのチャイニーズという言葉で一緒くたにすることはできないのではないかと思います。さらに言えばここ数年の延べ訪日外国人数の国別構成比で言えば中国人は全体の25%ですが、台湾人と香港人を足せば中国人に匹敵する数になり50%となります。そこに韓国人を足せば訪日外国人全体の70%になります。東アジア4テリトリーの総計だけで外国人総数の70%に達するわけですから、東アジア系の人を目にしたら瞬時にどのテリトリーか、中国ならどの地方出身かくらいは瞬時にわかったうえで、それぞれの国/テリトリーに合わせた「こんにちは」と「ありがとう」の言葉くらいは瞬時に言えるようになったうえで、はじめておもてなしの出発点に立つのではないかと思います。

繰り返しになりますが、日本と韓国も近い国であるがゆえか近親憎悪と呼ばれるような複雑な感情があります。中国と韓国、日本と中国もまた然りです。大なり小なり同様のことが世界のさまざまな国で存在しています。中国とベトナム。インドとパキスタン。アメリカとカナダ。オーストラリアとニュージーランド。イギリスとアイルランド。近い国こそお互いのアイデンティティを自覚しその差を意識するのかもしれません。であればこそ僕らも僕らが韓国人と間違われることを嫌がるのと同様にないしはそれ以上に、ひとつひとつの国の個別に置かれた状況をしっかり踏まえて、十把一からげでない対応をすることが基本ではないかなと思っています。

しかし中国人と台湾人を即座に見分けろと言われても、なかなかすぐには出来ないのではないかと思います。僕も最初は全く分かりませんでしたし、今でも即座には無理です。上海に頻繁に出張していたころ、中国人の友達が別の人間を「あの人は台湾人だね」と即座に言うのを聞いて、どうしてそんなにすぐに分かるの?と最初は驚いたものでした。しかしのちに台湾人の友達もでき、ひとりひとりの人間と深く関わり、その微細な違いを感じ取っていくうちに、僕にもなんとなくわかるようになりました。中国人と台湾人の違いもそうですし、中国人のなかでも上海人とそうでない人の違いもなんとなくなら分かるようになりました。別件で香港の人と友人になり彼女と会話を重ねるうちに、香港人という人がどういう人かをなんとなく分かる様になりました。人と人との理解はいつもそうであるように、コミュニケーションの頻度と、相互理解を諦めない努力と、それに費やした時間によって得られるものなのだと思います。日本は観光地として世界に開かれていることを国民の多くが自覚してからまだ数年しか経っていない国です。僕がここに書いたようなことを当たり前のように実践しているホテルや飲食店は勿論たくさんあるとおもいますが、初めていきなり多くの外国人と出会い戸惑い混乱し特定の国を好きになったり嫌いになったりして浮足立っている人も多いかもしれません。僕らは観光国としてはまだまだ超初心者なんだということをまずはつくづく自覚したほうが良いのではないかと思います。

 

日本がグローバル的なホスピタリティの経験値が浅い国だという前提に立ち、あらためて日本のおもてなし文化を捉えると、日本人が思っているおもてなし文化は、良くも悪くも「郷に入っては郷に従え」のスタイルなのではないかと感じます。それは言い換えれば日本昔ばなしの時代、山奥の村に旅人がやってきたようなシーンを連想させます。ようけこんな辺鄙な村に来なすった。なんも無いけんど、ゆっくりしてくんさい。これがおらの村で採れた野菜の汁だ。これがおらの村の干物だ。と。そもそも旅館や民宿というスタイルはなかなかに強引に、旅客をホスト側のテリトリーと行動スタイルに引き込みます。浴衣を着なさい、食事はここでこの時間に摂りなさい、そして勝手に布団が敷かれていてもう遅いからここに寝なさい、と。これは、なかなかに異常です。皮肉的に言えばここまで強引に時間と行動を強制しつつプライバシーが蔑ろにされる宿泊所は世界的にもめずらしいと思います。日本旅館は言うなれば宿泊型のテーマパークのようなものです。

誰しも日本人になりたいから日本に来るわけではなく、自分の基本的な行動スタイルや生活のリズムは維持したうえで、日本という国を体験し、その文化に(気持ち良い程度に)触れたいと思うはずです。(自国のアイデンティティをすべて捨て去って日本に来たいという人には別の形の受け入れ方があります。)ですから、まずは前述したような一人一人の文化的背景と生活習慣を理解しつつ、日本的なおもてなしと呼ばれるものの強引さあるいは押し付けがましさを自覚し、そのうえで程よいさじ加減で日本らしさを盛り込んでいくことが もてなす側ももてなされる側も満足できるおもてなしの良いバランスなのではないかと思います。