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栄光の後ろに置いてきたもの 3

3つ目は基礎研究についてです。

ここでいう基礎研究とは、製品の性能向上のための工夫やユーザーニーズを把握するための調査といった、サービスに直結する努力ではなく、より普遍的な物事の道理を把握するための努力のことです。たとえば炊飯器のメーカーが、そもそもでんぷん質が糊化するしくみや糖化するしくみ、さらに糖がどうやって味覚細胞で知覚されるのかを化学的に追求するような類の研究のことです。

Rにとっての基礎研究とは、ダニ(以下ヤケヒョウヒダニ、コナヒョウヒダニ)の生態とダニがアレルギーを引き起こすメカニズムについて詳しく知ることでした。もちろんRもダニについての基礎的な知識は蓄えていました。生態としては生育に適した温度と湿度、主に何を食べて生活しているか、生体になるまでの期間や産卵数、寿命、一日にどれくらいの糞をするか、どういう環境を好みあるいは嫌うかなど。アレルギーを引き起こすメカニズムとしては、ダニたちは主に人間の皮膚から落ちる微細な皮膚のかけらやフケを主な主食にしていて、それを体内で分解消化する際に消化酵素が作られ、この酵素たんぱく質が人間にとってのアレルゲンになり、アレルゲンである酵素はゆえにダニの生体・死骸と特に糞にこそ多く含まれ、糞は大量に生み出されなおかつ微細な粉末として空気中に舞いやすいため、もっぱら直接的にアレルギーを引き起こす原因になるのはダニの糞であること、など。あるいは、ダニを効率的に駆除するあるいは生育を抑制するための方法もそうでした。よく知られているように、布団を天日干ししても、ダニは布団の表面から奥へ逃げてしまうため直接的にダニを殺す効果はないものの、乾燥した外気に晒すことで布団内部の乾燥を促し、ダニが生育しにくい環境をつくるのに貢献するといった知識もこの範疇の情報です。僕もアレルゲンとしてのダニの研究報告や論文には多く目を通し、何人かの専門家にも会って話を聞き、定説とされている基礎的な知見は一通り把握・蓄積しました。しかしながらアレルギーの問題は近年になってから取り沙汰されてきたものであるためアレルゲンとしてのダ二の研究も歴史が浅く、十分に網羅的な研究がし尽されているとは言い難い状況でした。ゆえにRにとっても基礎研究のテーマはまだまだ沢山残されていました。例えば布団にフォーカスすれば、ダニが生育繁殖しやすい布団の材質はどのような材質か。何年くらい使った布団にはどれくらいのダニが棲んでいるのか。ダニは布団の表面から何センチメートルくらいの距離に多く潜んでいるのか。1日のうちいつの時間帯にダニは布団表面に出てきてえさを食べるのか。あるいはダニそのものにフォーカスすれば、ダニの光忌避行動についてどれくらいの強さや波長の光を忌避するのかといったテーマや、ダニがえさとする人間の皮膚について大人/子供/老人あるいは男女の違いでダニの生育やアレルゲンつまり酵素の量に影響はあるのかといったテーマ、卵の孵化率に影響をおよぼす要因としての湿度や温度、紫外線の影響などなど、沢山の研究テーマが残されていました。

僕はこういったダニとアレルギーに関する基礎研究を、Rの長期的発展のためにとても大事なものと捉えていました。なぜかというと、まずはそういった基礎研究によって得られる科学的な知恵は、とりもなおさずRを初期の段階に買って使って頂いた初期ターゲットつまり子供のアレルギーをどうにかしたいと思っているお母さんのために有益な情報になり恩返しになるからです。もちろんRを使って頂いた人たちだけでなく、すべてのアレルギーに悩む人達のために有益であることは言うまでもありません。そして、もちろんですが基礎研究は将来のすぐれた製品開発のための礎になります。そもそもRという製品も、ダニは家の中で布団の中に最も多く生息しているという科学的事実をもとにしてその製品の方向性が決まったわけですから。そして僕が基礎研究を重視し、2013年のヒットにみんなが浮足立っていたときも変わらず基礎研究の重要性を周囲に訴え続けていたのにはもう一つ理由がありました。それはRがカテゴリリーダーであり、リーダーシップ戦略を取り続けなければ活路はないと確信していたからです。

Rはふとんクリーナーというカテゴリにおいてパイオニアであり、Rが登場する以前には市場には布団専用の掃除機という製品カテゴリはありませんでした。しかしパイオニアのポジションは、市場開拓初期は独占的なシェアを持ち利益を独占できるものの、すぐに低価格を売りにするフォロワーや果敢にシェアを奪おうとするチャレンジャーという存在が登場し、うかうかしているとすぐにリーダーの座を逆転されてしまいます。Rがヒットしはじめた頃にもすでにフォロワープロダクトが複数登場していました。(Lさんはそれら製品をコピーキャットだ、泥棒だと言ってよく罵っていたのが思い出されます。)強気なチャレンジャーの登場もある程度予想していましたが、それも後に現実のものとなりました。Rがシェアを守り市場リーダーでありつづけるために採ろうとした戦略はリーダーシップ戦略でした。戦術の内訳としてはいろいろありましたが基本的にはセオリー通りのもので、その戦略の中心に据えたのは、カテゴリの基本的価値を発信し続ける存在であり続けるというものでした。Rが属するふとんクリーナーという製品カテゴリの基本的価値とは、布団を清潔にすることでダニのアレルギーの問題を解決するということです。言い換えると、ふとんクリーナーはダニ由来のハウスダストを除去するという価値です。この基本的価値を発信し続けるには、辛抱強く一貫性があり継続的なコミュニケーションをし続ける必要がありますが、その土台として必要でありそのメッセージをより強固なものにするために必要だったのが基礎研究でした。Rはダニとハウスダストに関する基礎研究においても第一人者である、そうあり続けそれをアピールし続けることがひいてはカテゴリリーダーとしての座を一層堅固なものにすることができる。と、考えたのでした。

しかし残念なことに基礎研究の母体となるチームづくりは遅々として進まず、ようやく研究開発チームを立ち上げられたのは2014年の半ばに入ってからのことでした。基礎研究に十分目を向け力を注ぐことができなかったこと、そしてリーダーシップ戦略を辛抱強く採り続けることができなかったことが結果的に、やはり後に続く競合の攻撃から逃げ切ることが出来なかった一因となったと僕は考えています。

 

 

パブリックリレーションと基礎研究の2点は速すぎる成長の結果であり、紫外線の件も元を辿れば短期間での成功を急ぎすぎたがゆえのボタンのかけ違えに起因するものだったのではないかと、振り返って感じます。

悪い点だけを見れば、もちろんじっくり物事に対処して改善するべきだったと言う人は多いでしょう。しかし同時に、ブームを加速させる方向に力を注ぐのではなくて、足元の足場固めに専念していたとしたら、あれほどのブームは起きなかったであろうことも容易に想像がつきます。光あるところに影があるといわれるように、これらの出来事はブームと表裏一体でつながっている出来事であり、分離して語ることはできません。結局はこういった極限状況あるいは究極の選択という状況でどう振る舞ったか、そのふるまいの軌跡が人の本質をまざまざと描き出すのかもしれません。(ただそれはLさんのそれであると同時に、僕のそれでもあります。そういう意味でこの3つの反省はまごうことなき、僕の限界でもあり、僕の当時の人間としての弱さやずるさが僕の動いた動きの軌跡として描きだされてもいるのだということに一切の反論をするものでもありません。)

 

2013年が終わり、栄光の後ろにいくつかのものが置き去りにされました。そして、その結果、僅かにRという船の向く先が変わり、おそらく微かにしかし着実に潮目も変わっていたのだと思います。この頃から少しずつ、Rという船は僕の目指す大陸とは違う方向に舳先を向け始めたのだと思います。

続く