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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

おまけ:Into the great wide open

ふとんクリーナーとの3年間

力は、人に何を与えるのでしょうか。あるいは人の何を暴くのでしょう。

2013年にRの新製品の企画開発とマーケティングを担当したとき、僕はRの値段を1万円アップさせて約3万円の売価に設定することを強く主張しました。僕以外にそれに賛成する人はいませんでした。幾度かの議論を重ねいくつものマーケティング理論を振りかざし、それまでの自分の実績を最大限にレバレッジしてようやくその主張を通すことに成功しました。

でも、それが良いことだったのか、わからないんだよね、いまでも。

 

 

マーケティングにおいて価格戦略は言うなれば最も下品(まあマーケティングに上品も下品もありませんが)であり同時に最も殺傷力が高い最終兵器だと思ってます。価格さえ下げれば商品が売れるという点においてそれは麻薬であり、麻薬中毒になってしまえば二度と堅気の生活は営めません。価格を下げることは容易ですが製品を販売しはじめてから価格を上げることはほとんど不可能ですから、なるべく高い価格設定から販売をスタートすることがマーケティングのセオリーですが、とはいえべらぼうに高い価格を設定することはそれはそれで危険な賭けです。価格に見合ったバリューが無いと判断されれば消費者にそっぽを向かれそれどころか反感を買ってしまうこともあるからで、そうとうな信念と覚悟がないと高価格での勝負には挑めません。原価の積み上げ云々とは全く別の次元で、価格戦略は暴力的であると同時にきわめて繊細さが求められる、あるいみマーケティングの肝(キモ)と言っても良い重要事項です。

Rの新製品価格を2万円から3万円に設定したことにはいくつかの理由や目的がありました。Rに限って言っても製品のバリューを大きく向上できたという確信もありましたが、そもそもふとんクリーナーという製品の持っている本質的バリューつまりハウスダストアレルギーからの解放という価値に見合った価格を市場に提示し、あらためてふとんクリーナーの価格相場を設定したいという目的もありました。価格2万円の製品がすでに数十万台販売されていた状況でありましたが、まだ相場が定まりきっていない状況と判断し、最後のチャンスでありチャレンジとして、カテゴリリーダーからの提言という意味合いも込めての価格設定でした。

しかし1万円の利潤を新製品に与えた一番の目的は、市場に対する提言や製品バリューの正当な評価といったことではなく、Rの関係者に利潤を配分するためでもなく、ひとえにRの理念に力を与えるためでした。そもそもマーケティングは武器にすぎず、マーケティングそのものは世の中を良くするものでも悪くするものでもありません。ただ世の中を動かし、企業に力を与えるためのツールです。僕はマーケティングによって得られた利潤という力をRの理念のために使ってほしかったんです。言い換えればRのそしてLさんの理念を信じたかったんですよね。力を与えられた理念が、基礎研究に実を結び、最初にRを買ってくれたお母さんを含む多くのアレルギーに悩んでいる人たちにより有益な情報や解決策を与えられること。あるいはRが関わるすべての社会構成要素に対して適切なパブリックリレーションズを構築し、周りの人々に恩返しができ、社会のなかで長く生かされる居場所を得ること。メディアや競合からの批判があってもそれを真摯に受け止め、それにより成長し、より良い存在に成長するための体力を得ること。そして永続的に製品を改善改良しつづけるための土台として製品開発と試験にしっかりとしたインフラと体制を設けること。すべての社員が働くことを楽しいと感じられるしくみと環境をつくること。などなど。理念ある企業としてRがこのようなことに力を使うことを信じたから、僕はRが1台売れるごとに1万円の利潤が生まれる魔法をかけちゃったんですよね。

結果は誰もが知るとおりです。1万円かける100万台。大きな力です。
でもなぜかその力は僕の思ったところには使われませんでした。

でも、「でも」もへったくれもないんです。力そのものには色も匂いも形もないんです。何に使われても、お金はお金ですし、力は力ですし、僕はLさんじゃないし、理念は、ウーンなんだったんだろうね。あっ今思い出した。理念の文章って俺が書いたんだった・・・それじゃぁ、だめだよね。あー、俺が書いたんだった・・・

 

力は、人に何を与えるのでしょうか。あるいは人の何を暴くのでしょう。と、書きましたが、力が人をどう変えたかについて僕がここで語ることはありません。めんどうくさいですし。ただ力が人を変えることや人に何かをもたらすということに無自覚でいてはいけないんだなと思います。サムライミ版のスパイダーマンみたいで言ってて恥ずかしいですけど。僕は無自覚に、なんだかよくわからない暴力的な力というものを誰かに与えてしまったんだと思うから。ちょっと、やりすぎた。

 

 

 

 

僕が好きな曲のひとつに、トムペティの"Into the great wide open"という曲があります。若き日のジョニーデップが登場するミュージックビデオでは、田舎の若者がロックスターになる夢を抱き、都会に出て、もがき、汚れ、栄光を手にして、そして手にした金と力におぼれ周りの人々から利用され見放されていくさまが描かれます。僕にはこのビデオに出てくる主人公の青年と彼の姿がダブります。さしずめ僕は青年の腕にタトゥーを彫ったおっさんかもしれません。

 

僕はいまでも彼と共に過ごした興奮に満ちた幾多の思い出を振り返ると、なんだか、幼稚園児のころに野原で虫を追いかけたり、下らないいたずらを競っていたときと同じような感情があふれ、その感情に呑みこまれそうになります。

でも、僕は、子供の頃に野原で虫を追いかけたことなんて、本当はなかったんだ。
あの時間こそが、僕の人生のストーリーの一部だったんだと思う。
あるいは、そうであったら良かったのにと思う。


ふとんクリーナーとの3年間
ほんとうに、終わり。