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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

新しいことをはじめること

人は新しいことをはじめるときに不安を感じたり、躊躇したりするものです。そしてときに新しいことになじめずに元の生活を引きずってしまったり、不安定な気分のまま日々を過ごすこともあります。この文章は3月という新しい季節に新しい環境へ身を置くことになる人へのエール、あるいは僕へのエールです。

 

生き物は、なぜ記憶を持つかというと、昨日取った行動の結果として今生き延びていられているのだから、昨日と同じことをすれば今日も生きられるだろうという生存戦略を取ってきてそれが成功し続けてきたからなんですね。昨日この道を歩いてきたからちゃんと巣まで帰れた。川にも落ちず虎にも食われなかった。だから今日もこの道を歩けばきっと安全だろうというのが記憶の果たす役割です。だから、人間という生物はその点においてなかなか新しいことをするようには出来ていません。昨日歩いた道ではなくて別の道を歩いたら、落とし穴があるかもしれないし、熊に食われてしまうかもしれないからです。これは人間の本能であり、今に至るまで人間を死から遠ざけ繁栄させ続けてきた大事な機能ですから、これを簡単に乗り越えることは難しいでしょう。

むろん、これまで歩いてきた道に餌が全く見つからなくなってこのままでは死んでしまうとなれば別の道を歩まざるを得ませんが、人間の普段の生活で餓え死にするような本能的危機にさらされることは多くありませんから、どうしても理性でそれを乗り越えることになり、大きなストレスになります。変わらなければいけない、でも生き物としての本能でそれを受け入れたくない自分がいる。そういうことは誰にでもあるのかもしれません。

そんなとき、僕がよく思い出す話が二つあります。一つはアブラムシの話、もう一つは大前研一の話です。

 

アブラムシとは植物の葉っぱや茎にくっついて汁を吸う薄緑色をしたちいさな虫ですが、このアブラムシには面白い生態があるそうです。アブラムシは繁殖すると徐々にそのすみかを広げていくのですが、それでもアブラムシが増え続け、一定の面積のなかの個体の密度が高まり、それがある一定の密度の閾値を超えたとき、とつぜんにアブラムシたちの中に一匹二匹と、羽(翅)を持った個体が現れるのだそうです。そして、羽を持ったアブラムシは空を飛び遠くへ飛翔し、誰もいない新天地に辿り着き、そこで再び繁殖をするのだそうです。なぜ一匹の個体のアブラムシが「このへんは密度が高くなりすぎた」ということに気づくのか、そしてそこから羽が生えるメカニズムは全く分かりませんが、一つ言えるのは、飛び立とうと思ったアブラムシには、すでにその背中に大きな羽が生えているのだということです。あるいはそのアブラムシは飛びたいと思って飛んだのかどうかすらもわかりませんが、ただ変わるべき時に変わるという本能も生き物には備わっているんだということを強く感じさせられます。(この逸話はいつも僕を勇気づけてくれます。人にこの話をするとたいていアブラムシのビジュアルに対して引かれてしまうのでその感動が伝わりづらいのですが。)

もう一つの話は、よくネットでも引用される大前研一の言葉です。人が自分を変えたいときに自分を変える方法は三つしかなく、住む場所を変えること、時間配分を変えること、付き合う人を変えることだと彼は言っています。僕はこの三つをきわめて優しさに満ちた言葉として受け止めています。人間が変わるというのは自分自身を決意や覚悟や信念で固めて無理やりに変えていくのではなく、身の回りの空間と時間が変わっていくことで、人間は自然と変化していくものだよ、という教えだと思うからです。仏教の話ではありませんが自分自身とは無なのかもしれません。ただそこにいる自分、だれかと会っている自分、なにかをしている自分という関係性やふるまいこそが自分という無のなかにいっときの形や輪郭を与えているだけなのかもしれません。そういう意味では人間とはなにものでもなくそもそも変わるものでもなくただそこに有るだけのものでしかないのかもしれないと思います。

 

最後に、変わることを悩んでいる人や変わることを恐れている人に捧げたい言葉がひとつあります。大好きな岡本太郎の言葉です。「なぜ悩むか。それは、やりたいからだ」僕はこの言葉が大好きです。やりたいけどやれない。やろうかどうしようか。と悩むのは、そもそも、それをやりたい心が自分の胸を内側から蹴飛ばしてるからなのでしょう。

なぜ悩むか。それは、やりたいからだ。