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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

おまけ:金持ちになることの効能

小さい会社の社長は、多くのひとがうなづいてくれると期待しますが社長ほど収入が安定しない仕事もないと言うくらい収入が安定しないものです。そんなこんなで僕の社長人生の大半は貧乏でしたがもともと物欲が少ない性質(たち)なのでとくに困らず暮らしてきました。しかし逆にどうがんばっても使い切れないほどの収入を得た時期もあり、そういう時期を振り返ってお金持ちになることにも多少の効能があることを知りました。そこで僕なりに感じた、金持ちになることの効能を書いてみます。
(なお「使いきれないほどの」と書きましたが、普通に物欲が旺盛な人であればすぐに使い切ってしまう程度の額ですのであしからず。さらにたまったお金は会社に全部投資し手元にお金はありませんので「じゃあ代わりに使ってあげるよ」というありがたい申し出にも応えることはできません。)

 

一つ目は、世の中は金を使えば使うほど便利になる仕組みでできているということです。タクシーでぱっと移動できたり、値段を悩まずに料理を注文できたり、行列を並ばずさっとチェックインできたり。金はあればあるほど便利になるのですが、その便利とはだいたいが時間を作る、時間を有効に使うための便利さです。短絡的に言えば、お金で人生の時間を買うことができる。人生の時間を長くするということは命を長くするということですから、さらに短絡的に言えばお金で命を買うことができるということです。資本主義経済は人の欲を無限に取引できるメカニズムだというならば、人の欲の根源には命あるいは永遠の命への強い強い執着があるんだということを気付かせてくれること、これが金持ちになることの効能の一つです。

 

二つ目は、他人に優しくなれるということです。まさに、衣食足りて礼節を知るということです。もちろん貧しくとも清くあれ、貧しくても施す心を持て、という崇高な考えも素敵だと思いますし、自分がそうであったら良かったのにと思いますが、現実問題として貧乏であったらそもそも施す金がないわけですし、なかなか心にも余裕が生まれません。そういう意味では、世の中に貢献したいと思うのであれば、まず自分が金持ちになって、自分の欲を充足してさらに余りあるお金を手に入れるのが一番の近道かもしれません。自分の欲を満たしてさらに余りあるお金が手元にあるとき、それをはじめてどうやって他人のために使おうかなと真剣に考えるのではないかと思います。そういう状況になったとき、はじめてその「どう使おうか」「何のために使おうか」はリアリティを持つのではないでしょうか。金の持つ力をリアルに感じるからこそそれをどこに使うかについて真剣に考えるということです。取り急ぎ街のホームレスからビッグイシューを買おうか。いやついでにタバコでも一箱渡すかといった些細なことからはじまり、どこに寄付をするとよいかとかどこに投資をしたら世の中はより良くなるか、さらには自分は世の中をいったいどう良くしたいのかといったことを眼前に突きつけられることが、金持ちになることの大きな効能です。なお、そのようなクセがついたあとは、たとえ改めて貧乏に戻ったとしても素直な気持ちでビッグイシューを買える気持ちが身についているから不思議なものです。(なおビッグイシューとはホームレス自立支援のために販売されている薄い雑誌で、売上の何割かが直接ホームレスの手元に残ると言われています。僕も今でも見つけたら買うんですが、一番の問題は内容が面白くないことですね。あっこんな批判めいたことを書くつもりじゃなかったのに。)

 

三つ目は、自分の行動が富を産んでいるのか奪っているのかについて自覚的になれるということです。ちょっとややこしい話ですが、富を得るプロセスには産み出す側面と奪う側面の二種類があります。産み出すというのは、たとえば農業は植物の光合成と成長を促すことで大地と太陽の恵みから富を産み出しています。一次産業だけでなくサービス業などでも、人の時間を有効に使えるようにすることや人の生産性を上げることなどは富を産んでいると言えます。一方、奪う側面というのは、最も端的に言えば盗みや強盗ですが、普通のビジネスにも奪う側面は潜んでいます。他社のシェアを奪う、旧来の産業を破壊する、別のサービスに使われていた消費者の可処分時間を奪う、隣の店からお客を奪う、といった側面です。この二つの側面は切っても切れないものですが(たとえばシェアを奪っていると言ってもそれは消費者により良い価値を産み出しているのですから産み出す側面もあるわけです)、お金というものを手にしてその奥底をじっと見つめると、そのお金がどういうプロセスで出来上がったのかについてどうしても思いを馳せないわけには行かなくなります。この富はゼロから産み出された富なのか、あるいは奪うことによって生まれた富なのか。奪ったとしたら誰からどういう富を奪ったのか。けっきょくのところ、奪う側面がゼロなお金なんて無いんだろうなということに気づくわけです。ちょっとしゃれた言い方をすれば、すべてのお金には誰かの血がついているんだということに気づくのです。これは人間存在の持つ業(ごう)かもしれません。そういうことにうっすらとしかし肌身で気付けることが、金持ちになることの効能の一つだと思います。

 

ぼくは昔、人間一度は金持ちになったほうがいいよと周りのほとんどの人に話していました。それは上述したように金は僕に多くのことを教えてくれたからです。でもそれはすべての人にあてはまるわけではないことも知りました。金はときにただの麻薬になり人を破壊しておしまいということもあるからです。

僕に金という麻薬への耐性があって良かったなと思います。今はもう金持ちになりたいとは思いません。いや、僕に麻薬への耐性があって、良かったのかな?わからない。その答えはもう少し生きていくなら、その道中で改めて分かるのかもしれません。