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将棋

今日、2017年3月26日の朝は毎年やっているNHKの将棋トーナメントの決勝戦が放映された日でした。
もちろん見ました、今回も波乱に満ちた名勝負になりました。見終わった後は、はぁーーーと溜息をつくのが精一杯でした。

もう何年前からか忘れてしまったけど、日曜の午前10時30分からはNHK杯の将棋を見るのが習慣になっていました。双方10分間の考慮時間が過ぎた後は一手30秒となるため飽きることなく手が進んでいきます。

そもそも僕は将棋については詳しくなく、一通りの駒の動き方を知っているくらいにすぎず定石やら戦略やらについては全くの素人で、将棋を指すことについては全くの無知な状態でした。でも、NHK杯でいろんな棋士の人が毎週戦っているのを見ているのは楽しくてしょうがありませんでした。それはなぜかというと多分、人対人の腹の底からの真剣勝負を見るのが楽しくて、その真剣勝負の中に見える人間の心の揺れ動きに自分を共鳴させるのが楽しくて、そして最後に全身全霊を捧げて疲れ切った二人の棋士が、最後には子供みたいな顔をして時には軽口を叩きながら感想戦をやっている、なんというか平和さっていうのかな、そういうものの全てに魅了されていたからです。

将棋は詳しい手筋を知らなくても見ているだけで楽しいものです。そこには駆け引きがあります。熱意があります。策略があります。弱さがあります。そして凄まじいひらめきや突破力があります。一手さえ余計に貰えれば、と思う瞬間が数限りなくあります。先手番の人も後手番の人も、おそらく「あと一手さえ貰えれば」と思ってるんじゃないかな、そのせめぎ合いなんじゃないかな、って思いながら、見ます。でも実際のところはそうは行きません。一手足りない、あるいは自分の一手のかわりに相手の王手が来る、といった具合に将棋は進み、ぎりぎりの攻防の果てに、かならずどちらかが勝つ形で勝負がつき、勝った方はなぜかやり残したことがあるように疲れ果てうなだれ、負けた方は全てを出し尽くしたようにどこかすがすがしい顔つきで敗戦を語るのです。不思議なものです。だいたい負けたほうが生き生きとしていて、勝った方は本当に、本当に疲れ果てた顔を見せます。

僕が好きな戦いは、劣勢なほうが王手、王手、王手をやり続けて優勢なほうがそれを受け続ける局面です。だいたいにおいて劣勢なほうは駒を出し尽くして手が切れて、その瞬間に「負けました」となるのですが、ときには王手王手の連続のなかで活路が見えることもあります。そうして駒を出し尽くして自陣がガラ空きになった果てにギリギリで勝つ将棋というのはほんとうにハラハラして興奮します。 そしてもちろん、逆に王手王手の連続を受けきって、しのぎ抜いて、逃げ切って、その果てに相手が「負けました」と言う瞬間というのもなんとも言えないものです。見ているこっちが「あーーーーーーー」としばし放心する気持ちになります。

何度も言いますが僕は将棋のルールや戦略、手筋というものは全くといっていいほど知らず、9×9の盤面をただ漫然と眺めているだけです。でもなんとなくどの盤面がアツアツになっているか、どこあたりがややこしいパワーバランスで捩れかえっているか、そういうことを感じ取ります。たぶん誰でも感じ取れると思います。そういう流れや淀みや勢いや鬩ぎ合いをリアルに感じてしばし呆然とするのが、将棋、NHK杯の醍醐味です。攻める、守る、冒険する、逃げる、戦う、諦める、凌ぐ、我慢する、賭ける、胡麻化す、落ち着く、赦す、詰める、そういったいろんなことが一手一手の中に込められる、というか、一手一手からまざまざと見えてくる。背筋がぞくぞくします。

将棋という一対一の勝負には人間の勝負のいろんなことが描かれている気がしています。何度も言うけど、人間の努力と叡智と、あと弱さともうひとつ、思いが。圧倒的な熱量の応酬の果てに全てを出し切ったような面持ちでぽつぽつと語り合う感想戦を見て最後に、「勝負の勝ち負けはあるけど人の生き死にとは違う、人が生きるってすごいことなんだ」的な気持ちになっちゃったりすることもあります。

強い人の将棋は見てて本当に楽しい。それだけの記事でした。