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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

無銘の匠 (liberteenバージョン)

たしか20代の後半ごろにどこかで(恐らくネットで)読んだ話があって、たしかにどこかで読んだか聞いたかした話なんだけど、ネットをどう探しても出てこない。だから完全に忘れてしまう前に書き残しておこうと思いました。無銘の匠、あるいは無名の匠という話です。

 

どうして僕がその話を読んだのが20代の後半だっただろうと推定するかというと、僕は27歳のころに会社を辞めようとしていました。大学には高校からそのまま入ったのですが大学二年生のときに留年したので23歳の年に大学を卒業して企業で働き始めました。何も未来に対する希望もなく社会に対する変革あるいは貢献への意欲もなくだらだらと5年間を過ごし、さすがにこのまま生きていたらなんともならねーなーという思いから目を背けられなくなったのが27歳とか、そのころです。ジミヘンドリックスが死んだのが27歳だとかジャニスジョプリンが死んだのが27歳だとかカートコバーンが死んだのが27歳だとか、そのころは27歳は鬼門だなあと思っていましたが確かに27歳はとにかく憂鬱な時期で、自暴自棄で(まあ今でも変わんないところはあるけどね)、まじでサイアクな時期でもありました。そこで会社を辞めてなにをしようかと思ったかというと、それがまた笑っちゃうくらい生ぬるい嘘くさい馬鹿馬鹿しい表面的で愚かな選択肢で、コンサル会社に転職するか、MBAを取るか、起業するかという3つの選択肢でした。どの一つとして自分の心の底からやりたかったことではない。なんでしょうね、聞こえが良くて手触りがなめらかそうで、他人にとっての見栄えが良さそうなものをとりあえず手当たり次第に見繕ったという感じでしょうか。でもそのときに起業という選択肢をホンワカと取ることにしたのは、おそらく今回書く「無銘の匠」の話しが心にどっか引っかかって共鳴したからなんじゃないかなと、思うのです。

ちなみに27歳のとき実際は上に上げた3つの選択肢のどれも選択せず、当時勤めていた会社の子会社の経営改善というか新規事業による経営の立て直しというテーマが面白そうで、ついついそっちに行ってしまって2年ほどそちらで勤めたのでしたが。H社での2年間は総括すれば2年間飲まず食わずで土下座するしかないくらいのひどいろくでもない日々だったと思うのだけど、よく覚えていないから思い出したら土下座するかどうか考える。っていう感じの日々だった。

 

 

無銘の匠という話は以下のような話しです。当時読んだ記憶が掠れていて、というかほとんど覚えていないので、大半は僕の創作か或いは脚色かもしれません。

 

戦国時代か江戸時代か分かりませんが、日本において日本刀は道具であると同時にブランドでした。ここの刀鍛冶の家の刀はすごい名刀だ。だからここの刀を持っているということは非常に誇らしいことである。ブランドというのはいつの時代もそうであるように実際の優れた価値を評価できない人にこそ愛でられ、中身より形骸が重宝されるような傾向があるものですが、当時においてはブランドは刀でありその刀の銘柄であったとお考えください。そういう時代において村正という刀はトップオブトップ、まさに稀代の名刀だったわけです。超一流のブランドですから金を持っている大名や一部の貴族豪族のような連中に愛され、村正の刀をしこしこと撫でながら、やれこの刀は村正であるぞ、一振りで何人の首を落とすぞ、といった話に花が咲いていたのでしょう。

そんな時代、あるところに、ひとりの刀鍛冶がいました。彼は村正でも正宗でも、なんでもありません。ただの刀鍛冶です。ただ、彼は、鍛錬することにおいて誰にも勝っていました。ただひたすら刀を鍛錬することに命を捧げ、時間を捧げ、熱意を注ぎつづけました。人によっては村正や正宗に師事すればよかろうと思ったかもしれませんが、彼はその時間をすら惜しみ、ただひたすら良い刀を作ることに熱中しました。そしてその努力によって生まれた刀は、たしかにすばらしい刀でした。

名もない一人の刀鍛冶が作った刀は、一部で評判になりました。この刀は良いのう。ということで徐々に評判が生まれ、相変わらずノーブランドではありましたが、徐々に人々からの評価を受けるようになりました。そうすると、世の中にはかならず楽して稼ごうという輩がいるもので、この名もない刀鍛冶の刀を仕入れて売れば儲かるだろうと考える者が現れました。そしてそうして刀を売りさばいているとき、あまりにもこの刀の評判が良いことに目をつけ、「この刀を村正だと称して売ればさらにさぞや儲かるのではないか」と考えたものがおりました。そして彼は実際にその企みを行動に移します。その刀に村正という銘を付け売り始めました。

何よりたちが悪かった、あるいは不幸だったかもしれないことは、その刀は、たしかに村正に比肩するほどの品質と美したをたたえていたことです。普通一遍の人には全く区別がつきませんでした。彼の鍛錬は知らないうちにそれほどのものにたどり着いてしまっていたのです。そうして本人にとっては知らないうちにその極限まで鍛錬された刀は稀代の名刀・村正の逸品として世に流出し人々から高い評価を受けることになります。当の刀鍛冶本人からするとなぜ自分の刀が飛ぶように売れるのかは分からないながらも自分の刀が評価されて売れるのだからと幸せな気持ちを感じていました。

しかし、あるとき、このことが明るみになりました。その刀は本当の村正ではない、村正の名を騙る偽物である。そして刀鍛冶は名を偽ることにより偽りの利を成している。ということがお上(大名のようなものでしょうか)に知れてしまいました。当の刀鍛冶はびっくりしたことでしょうが、そこは世知辛い世の道理ゆえ、お上にしょっぴかれてしまいます。刀鍛冶はコトのからくりを知る由もありませんでしたが、自分が作っていた刀はまさしく自分が作った刀であり、それに村正の銘が打たれようがそうでなかろうが、自分の打った刀を見分ける目に狂いはありません。ですから刀鍛冶はお上の前にしょっぴかれつつも「これは確かに自分の刀です。まちがいありません」と正直に言うしかありませんでした。それを聞いたお上は「そうか。間違いないか。」と言いました。

絶体絶命です。万事休すです。おそらく刀鍛冶は自分が鍛錬した美しい刀ではない、そのへんのくず鉄をかんかんと打っただけの錆びた棒きれのような刀で首をちょんと跳ねられその一生を終えるのでしょう。そう誰もが思ったその時お上は言いました、

 

たしかにこの刀は村正ではない。

しかし、村正に勝るとも劣らない名刀である。

お主には無銘の匠という名を与えよう。

私はこの刀を村正と同じように愛でよう。

これからも刀をつくっておくれ。

 

というような、話しです。

 

ようは村正を偽ったのは刀鍛冶本人ではないし、それ以上に、村正同等の刀を作れる才能を失うのは惜しい損失である、という判断が働いたのでしょう。その刀鍛冶は死ぬことをまぬかれました。その刀鍛冶はあらためて己の鍛錬を独特な形で評価され、村正に劣らぬ無銘の匠であるという評価を得るにいたりました。という話しでした。

 

 

どんな銘がつかなくてもいい。そこに魂を込めよう。なんかわかんないけど、クソみたいなというかクソ以下の20代だったけど、そんなことを考えたこともあったんだなあ。まあ、死ななくて、良かったかもね。ボクシング楽しいし。