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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

フィリピンの食べ物

フィリピンの料理は美味しくない。これが僕をフィリピンに旅行に行くことから遠ざけ続けてきた最大の要因です。海はきれいだしフルーツも美味しいんだけどね。過去に東南アジア向けの新規事業を設計したときも、フィリピンとベトナムの二つが最終候補に残ったのだけど結局はフィリピンにしなかったのは食べ物が美味しくないのが理由でした。

フィリピンの食べ物が美味しくないというのは僕が勝手に主張しているだけでなく、実際に今のフィリピンでも一番流行して主食になっている食べ物はハンバーガーやフライドチキンといったファーストフードだそうで、みんなそこに群がっているという光景をテレビで見ました。ほら、やっぱり自分たちでもフィリピンの(自分の国の)料理は美味しくないって分かってるんじゃーん、ってその時思いました。

とはいえいちおう7年間、望むと望まざるとにかかわらずそんな国に住んでいたわけで、たぶん3−4年間はフィリピンの食べ物を毎日食べていたのだろうから、なんだかんだで幾つかの記憶が残っているものです。

 

フィリピンの食べ物と言って一番最初に思い出されるのはカラマンシーで、ビーフンなり春巻きなりあと何でも揚げ物には大体カラマンシーをかけていた記憶があります。とくにビーフンにカラマンシーをかけるのが美味しかった。カラマンシーというのは、すだちというかかぼすというかライムというかレモンというかシークワーサーというか、そういった果実に似た柑橘の果実で、そして上記した果実がどれもそれぞれの独特な個別の風味を持っているように、カラマンシーもそれ以外のどれとも違う独特の風味を持っていました。カラマンシーはしぼったジュースを水で薄めて(薄めないとすっぱすぎる)、砂糖をたっぷり入れて(入れないと美味しくない)作ったカラマンシージュースが暑い夏、っていっても毎日夏だけど、の日にばっちりマッチしていたように思います。

 

で今唐突に思い出したのが豚の皮を油であげたサクサクとした(そして油っこい)お菓子で、日本には無いお菓子だけど、百歩譲って言うと中華料理の端っこに出てくるえびせんに、ちょっとだけ似ています。あれよりももっと油っぽい感じです。特徴的なのがこれにビネガーを付けて食べることで、そうすると油ぽさが軽減されてほどよく美味しくなります。おそらくこの記憶が残っていたのでしょう、僕は少年時代ポテトチップスにお酢を付けて食べるのが好きでした。ちくしょう、変な味の嗜好を植え付けやがってフィリピンめ。

 

あと僕の記憶に残っているのがシェーキーズのフライパンのスパゲティです。シェーキーズは日本ではピザ食べ放題で有名ですがフィリピン(といっても30数年前だけど)にもあり、食べ放題の店ではありませんでした。そこでスパゲティを注文すると何故かフライパンに盛られた状態でスパゲティが出てくるんですが、味はともあれそんなのがあったなーって今唐突に思い出しました。たぶん美味しかった記憶がないのは、例によって美味しくなかったからでしょう。

 

そしてフィリピンで覚えた食べ物のなかで唯一大人になっても作り続け食べ続けていたのがアボカドミルクです。どこ発祥なのか知りませんが僕はフィリピンで覚えたので勝手にフィリピン発祥と決めつけています。作り方はとっても簡単で、半分に切って種を取ったアボカドの身をボウルにスプーンですくいます。半身のアボカドを全部すくい終えたら、スプーンで身をつぶします。あらかたつぶし終えたら、少しずつ牛乳を混ぜていきます。一気に牛乳を入れてしまうとうまくまざらないので注意してください。少しずつ牛乳を混ぜて、トロトロの状態になったら、最後に砂糖をドバッと入れます。遠慮なく入れます。このようにして丁寧にスプーンで作るアボカドミルクは、生でスライスしたままのアボカドには封じ込められ隠されていた、森の恵みを感じさせる芳醇でフルーティなアロマが、ふわ~っと広がって、なんとも言えない心地よい気持ちになります。(おそらくミキサーやジューサーでガーーッとかき混ぜてしまうと、このような芳醇な風味のアロマは出てこないと信じています。)

おそらくただ美味しいというだけでなく、僕の何かしらの記憶と結びつているから、だからこそアボカドミルクごときの香りについ笑顔になっちゃうくらい強く情緒が揺さぶられるのだと思うのだけど、何と結びついているのかは分からない。でもきっと、結びついているそれはきっと大事なものなのだろうから、アボカドミルクのことくらいは生きてるうちは忘れずに覚えていようと思うし、いつか本当に好きな人と一緒に食べれたら本望だし、そうしたら小さい小さいこどものころの真っ黒に日焼けしてたクソガキしゅんすけもきっと笑顔で親指立ててグッジョブって言ってくれるだろう、と思う。