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liberteenしゅんすけのブログ

自分の備忘録です。

夢はいらない、願いだけで僕はあたたかい

今日はあんまり調子がよくなく、絞り出すように一文字一文字を書いている感覚だけど、それでも歯磨き粉のチューブを空っぽになるまで全部絞り出すように 出せるものを全部絞り出してみます。

 

アラジンというディズニー映画に、どんな願いでも叶えてくれるジーニーという魔神(魔人?)が登場します。どんな願いでも叶えてくれると言ってもそこには例外があって、全部は覚えていないけど「死んだ人を生き返らせることはできない」ことと「他人の気持ちを自分の思うようにすることはできない」という2つが僕の心のなかで印象的に、ずっと残っています。人は努力や知恵や工夫や運や熱意やお金などのいろんな力を借りて自分が願う大抵のことを実現させることはできるけれど、自分ではない誰かのことをコントロールすることは、できない。自分ではない誰かの心をコントロールすることは、できない。そういうことなんだなぁと思うと同時に、ジーニーの言う"例外"は、もしかしたら人間がいちばん希求して強く願っていることなんじゃないかとも思います。愛する人を失いたくない。愛する人の心が自分のことを向いていてくれることを願う、といったように。(…まあ、もちろんこれがディズニー一流のストーリーテリングの工夫であって、うまく本筋のプロットと絡めるための伏線的なものでもあるんだろうけど。)同時に人間は、自分という存在は誰からも侵されることない自分だけのものである、ありたい、と思い、自分の自主性や自分らしさ、個性、自由意思や「思うがままに生きる」といったことをとても高い価値のあることとして尊重します。いっけん大きく矛盾するようなこの二つのこと(自分は自由でいたい/他人をコントロールしたい)ですが、他人というのはどうコントロールしようとしてもけっしてコントロールできないものなんだよと深いところで知るということと、自分という存在はどこまでいってもどんなことがあっても自由というありかたと不可分であってそれは何をしても決して奪われることはないんだよと深いところで知るということは、じつは1つの同じ真実(しんじつ)を別の言葉で表現しただけのことなんでしょう。

 

さて今の自分は、だいたい週4日、ボクシングやキックボクシングを1日に2時間やっています。運動をすると事前事後で栄養補給の食事をする時間が増えて、なおかつシャワーあびたり洗濯したりボケーと休養したりする時間も増えますから、だいたい朝の8時から午後の2時までの6時間くらいは、自分の体が求めることだけに忠実に従って、のうみそカラッポ状態で過ごしています。

そこから日が暮れるくらいまでの間の4時間くらいのあいだに、ほんわかと仕事的なことをしています。いま携わっている仕事は、某家電メーカーさん、某宿泊関係ビジネスの会社さん、あと某映像制作会社、の3つを中心に、それ以外に某アジアビジネスや某会計事務所さんや某もろもろさんにも少しずつお世話になり、マーケティングコンサルタントとしてほどほどの稼ぎを頂戴して過ごしています。主だった3社さんの1社さん当たりに使っている時間は平均してだいたい週5−6時間(多いときでその倍くらい)になるのかな。その後は夜はたまに友人と会ったり大抵は一人で街を散歩したりして何もなければ夜10時くらいには寝ます。あとなにより浅草のアトリエ(こう呼ぶことにしました)は快適です。

昔と比べれば仕事に費やす時間量は激減したと自覚しているし、昔よりは脳味噌がアホになったというと語弊があるけど全然回転していない自覚があって、だけどそのほうが自分の身の回りにいる仕事の仲間とのやりとりが結果的にうまくいってて、仕事のパフォーマンスも結果的に前より良いみたいだということも自覚しています。毎日12時間以上仕事してた昔の自分って何だったんだろうと、赤の他人をボケッと眺めるように振り返ったりもするけど、それはそれ。しょうじき昔はどうでもいいです。

こんなふうに自分でコントロールできる領域については概ね良好で大した不満もない、自由で若くて健康な状態にあります。liberteenの名のとおり。

(^ρ^)

 

自分でコントロールできない領域には二つのことが転がっていて、一つはしばらく前から続いているタフな出来事と称した出来事で、これは半分は自分の問題でもあるから、コントロールはできないけど、そしてすこし時間が必要なんだって分かってきたけど、きっと解決するという確信がある。だからそんなに大きな問題じゃない。

もう一つは、なんと言ったらいいんだろう、それは「願い」とでも言うような心の思いで、たとえて言うなら明日が晴れであったらいいな、と願ったり、世界が平和であったらいいなと願ったりする気持ちに近いものです。自分が明日の東京の天気を晴れにできるほどの影響を及ぼせるほどの力を備えた存在だと過信している人はいないと思うけど、そうであるように、その願いは願いでしかなく。「明日が雨であったら生きていけない」と思ってる人にとっては明日晴れてほしいという思いは願いというささやかなあたたかなものである範疇を越えて、自分を縛るだけの呪いになってしまうように、願いは誰をも縛らないあたたかいものであるから、僕にとってその思いは「願い」です。

 

今は、
自分がどうなりたい、とか無い。こんな能力が欲しいとか10年後どうなっていたいとか、年収いくら欲しいとか、無い。ただ毎日を楽しく生きてたいだけ。

 

だから、夢とか未来とか、そんなものは、いらない。

 

 

かつて絶望の底で絶望的に希求した円満な人格にちょっとほんのちょっとだけ近づけたのかもしれない。まだわからないけれど。一つ言えることはぼくはいま健康だと思う。

ぼくはいま、健康です。

ありがとう