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さなぎ

このブログも少し名前を変えて「1.5と2のあいだ」とゆう名前になりました。先日の"夢と未来がどうしたこうした"という記事を書き終えて、そのあと暫くブログを書く気がなくって2週間くらい経って、なんかうっすらと変化した感じの自分を自覚していたけど、それでもまだ2ではなくって1.5くらいかなと思ったのでそんな名前にしてみました。

このブログも当初のテーマ性があり長文で推敲された記事から、どんどん内容も軽薄になり、意味も目的も不明になり、価値も希薄になり、何者でもないただ一人の人間の思考の残滓をぽつぽつと残すだけのものとなっています。食事で言えばそれは排泄物であって、食事に置ける本質は食事そのものを楽しむことと栄養補給でしょうし、スポーツで言えばそれは汗であって、スポーツにおける本質はスポーツを楽しむことそのものと肉体と精神の健康であるように、言葉を書くことも本質はアウトプットすることそのものの中にあり、アウトプットされた言葉自体にはほとんど意味がありません。

 

昆虫には蛹(さなぎ)の形態を経てから成虫になるタイプのものと、蛹を経ないでいきなり成虫になるタイプの2種類があるそうですが、蛹というのはなかなか神秘的であり僕ら人間というスタイルの生き物からしたら理解しがたいスペクタクルが蛹の中では起きているそうです。虫の幼虫は蛹の形になると表面が固くなり微動だにしなくなりますが、実はその中では体を構成していた細胞のほとんどがどろどろにとろけたペーストというかゼリーというか、そういうトロトロになった状態のものになり、そこから改めて成虫の形になるべく体全体を再構築するのだそうです。カチカチに固まってじっとしているように見えて、実は体の内部ではすごいことが起こっているものです。

ただ葉っぱを食べまくるだけの機能しか備わっていなかったジェリービーンズみたいな幼虫が、空を羽ばたき花の蜜を吸う成虫に変わる瞬間ってどんな気持ちなんでしょうね。輝かしい気持ちでしょうか。それとも、何者でもなかった自分がついに何者かに変わってしまうことを恐れたりとまどったりしているのでしょうか。僕にはよく分かりませんがとりあえず蛹って神秘的だなと感じています。ちなみに余談ですが、完全変態(蛹を経由してから成虫になる)する昆虫の多くは、成虫になったあとは体は成長することがなくただ生命維持のために花の蜜を吸ったり樹液を舐めたりするだけなのだそうです。成虫になったらあとは配偶者というか、子孫を残すためのパートナーを見つけて、(見つけられないやつもね、もちろん、居るんだろうけどね、)その後静かに死んでいくという運命のみが待っているそうです。そういう意味では、もしかしたら芋虫のような幼虫は、蛹になる予兆を感じた瞬間に、無邪気に青葉を頬張り続けた日々を懐かしく振り返り後ろ髪を引かれるような思いに焦がれるのかも、しれません。虫にとって、自分の「ほんとう」って、どっちだったんだろうね。

 

こんなふうに蛹の話をしましたが、これは今の僕の精神的な何かを比喩的に表現したものだとかでは、ぜんぜん、ありません。

昔どっかで誰かに話したんだけど、「もし僕の人生が3回くらいあったら、そのうち一回はたぶん昆虫学者になってると思います」って言ったんだけど、それくらい昆虫の世界は神秘に満ちていて。宇宙だろうが海中だろうが山だろうがオカルトだろうが原子だろうが、あらかたの知的探求が済んでしまったこの2017年においていまだに知的探究心をいくらでも満たしてくれそうな昆虫の世界は好きですよ。